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ステイホームが浮き彫りにした「孤独」

孤独は集団の中にある。

日記にそう綴ったのは、確か高校生の時だった。

休日に1人ぼっちで図書館やカフェにいる女子高生は寂しそうに見えるかもしれないが、私の場合は全く寂しくなかった。

学校という複雑な世界から飛び出して、1人で過ごす時間は、とても心安らかで孤独を感じるヒマもない。控えめに言って幸せである。

本当の孤独は、例えば「〇〇会」と名の付くような空間で発生する。

周りにはたくさんの友達がいて、別に極端なイジメにあっているわけでも、話しかけたのを無視されたわけでもないのに、なんだか楽しくないこの感じ。

コミュニケーションの上手な人たちが本当に楽しそうに、けらけら笑い合っているのに付いていけないこの感じ。

自分の知らない話題が出てきて心がキュッとなるこの感じ。

たくさんの人に混じって、自分だけが誰とも心が通じ合っていないことを実感する。

集団の中にこそ本当の「孤独」があるのだと、内向的だった10代の私は思っていた。だから1人の時間を、幸せに過ごしていた。


そんな私も、気づけばもうすぐ33歳になる。相変わらず1人が好きだ。

買い物も、気になったカフェも、海外旅行も、1人で十分楽しめる。

結婚どころかもう何年も恋人さえいないが、強がりじゃなく、それほど焦っていない。

どうでもいい人と付き合って自由を奪われるくらいなら、一生このままでいいかな、くらいのことを考え始めていた。

だけど、「ステイホーム」がその心を変えた。

孤独が集団の中にあったのは学生時代の話で、今、孤独は「1人の時」そのものだ。

1人が好きとは言っても、普段は周りに友達もいて、週末にはちょくちょく予定が入って、ちょっとした寂しさを埋めてくれる異性もいた。

周りに人がいるという安心感が、きっと1人の時間を楽しい時間にしてくれていたのだ。

それが「ステイホーム」の一言で、私の周りにいたはずのみんなが散り散りに、自分の一番大切な家族、または一番大切な人の元へ帰っていった。

そして私はあぶれた。

たったひとつの場所へ帰りなさいと言われた時、私は1人ぼっちになった。

みんなが家族や同棲中の恋人と過ごす中、自分には拠り所が無いことに気づいた。

それでも1人で楽しい「お出かけ」が出来たら気も紛れたかもしれない。それさえできない今、私は寂しい。

寂しい。

この感情に気づけたことは、いいことだったとして、前向きにとらえることにしよう。

孤独は1人ぼっちであって、1人ぼっちは寂しい。

ステイホームが私に、当たり前のことを教えてくれた。

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