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#14 美大の学生に中間成績を付けているデザイナー夫。デザ夫さんはどんな美大生だったの?

デザイナー夫が教える美大は、先週から "Mid-term grading"(中間成績)の時期です。学生一人ひとりとオンラインセッションを持ち、成績と今後について話し合っています。その中で、一人の学生から進路相談をされたデザイナー夫は、自分が美大を卒業した当時のことを話し始めました。同じ「NYの美大生」といっても、20年(25年?👀)も経てば事情はだいぶ変わってしまったのだろうけど、学生は一生懸命に聞いています。今回はまず先週・今週の "Mid-term grading" を振り返り、その後ちょっと若かりし頃のデザイナー夫を覗いてみたいと思います。

NY美大の "Mid-term grading"(中間成績)

ひとクラスに12〜15人の学生×3クラス。一人ひとりに中間成績をつけ、後半の残り8週間を頑張れるように励ましていきます。観察するに、成績をつける作業にも、それを当人に伝えて励ます面談の時間も、どちらも多大なエネルギーを要する模様。

中間成績は、ある学生にとっては「この勢いをキープして最後まで行くぞ」と、加速するパワーを得る機会になり、また別の学生にとっては自分の成績を見て焦り「まずいな…頑張らないと!」と奮起するきっかけになります。

「成績は大丈夫そうだから」と気が緩んで、ある意味ペースダウンさせてしまうのは避けたいし、逆に「自分はもうダメだ」とがっかりして諦めてしまう学生が出るのも防ぎたい。現在のパンデミック状況下で、各国からオンラインで授業を受けている学生たちが抱えるであろう、それぞれの事情やストレスにも配慮と理解を示しつつ、中間成績の本来の目的を損なわないよう一人ひとりと向き合っています。もしかしたら通常の中間成績 One on one(一対一面談)よりも時間が長くかかっているかもしれません。

その中で、一人の学生から進路相談をされているようでした。全部は聞こえなかったのですが、美大を卒業した後に修士課程を取る道に進むべきか迷っているのかな?そんな印象でした。その学生に向けてデザイナー夫が話し始めた昔の話を耳にして、そういえば20年前(もっと前か?👀)デザ夫さんはどんな学生だったか、授業の後に聞いてみました。若かりし頃のデザイナー夫(デザ男くんと呼びましょう😙)を覗いてみましょう。

転勤族で育った経験は、デザインを学ぶプロセスだった

デザイナー夫が美大の学生だった頃の話に入る前に、まずNYでのデザイナー人生が始まるきっかけになった、人生の大イベント・アメリカへの引越しについて触れておきたいと思います。つまりは転勤族で育ったデザイナー夫ファミリーの大移動の記録です。

日本国内は東京、北海道(札幌、倶知安、名寄)、千葉、埼玉へと転勤を繰り返した幼少〜高校時代。それ以前の幼児期にカリフォルニアでも2年ほど過ごした時期があります。

高校2年生の終わりに、埼玉の工業高校・デザイン科からアメリカはカンザス州へ引っ越し、地元のハイスクールへ編入。このアメリカへの移動こそが、デザイナー夫の人生の転機だったのだろうと思います。アメリカの田舎にある、地元のハイスクール…もちろん友達もいない・英語もわからない・勉強についていけない…大変な学校生活の始まりです。

英語がわからない、誰ともコミュニケーションが取れない。海外に移住したことのある方は皆同じように経験していることですが、聞いた英語を頭の中で日本語にし、日本語で考えた答えを英語に直して…とグルグルしているうちに、話題なんてどんどん変わってしまうのです。そして英語力はもちろん、文化や歴史の知識がないとコミュニケーションを図るのはとても難しいのです。

当時高校生のデザ男くんが、その『聞いた英語を頭の中で日本語にし…』では間に合わない!という危機を乗り越えるには、とにかくその処理能力を上げるしかなかったのです。それはそれはたいへんな猛特訓が頭の中でブンブンに繰り広げられていたでしょう。加えて、感覚を掴むことや表情やジェスチャーなど非言語的なコミュニケーション能力を身につけることもこの時期に学んだようです。

デザイナー夫のストアカ講座の中でも触れられていますが、確かにコミュニケーションにおいて言語的な要素が占める割合は、表情やジェスチャーの割合に比べてかなり少ないのです。言語能力はとても大切。でも相手の表情や身振り手振りで理解できることは多いし、逆にこちらの意思もジェスチャーを使って伝えられます。場合によっては気付かずに表れている表情を相手が見て察することによってコミュニケーションが成立していることさえあります。こういう非言語的なコミュニケーションの力をフル稼働させて、高校生のデザ男くんは異国の地での高校生活を乗り切ったのでした。

あきらめなくて偉かったね、と思った【デザイナーの妻】でしたが、あきらめるなんてオプションはなかった、死活問題でしたね、きっと。当時を振り返るデザ夫さんは「違う言語を学ぶ時のあの感じは、僕の中でデザインを学ぶことの一部だったんだなぁ」と言います。

NYの美大生:デザ男くん

高校時代に言語処理能力を早める猛特訓を受けたデザ男くんは、その後に英会話以外の面でもスピードの早さを発揮していきます。美大生の頃は、とにかく課題の制作スピードが「めちゃくちゃ早かった」そうです。そして誰よりもたくさんの作品を作ったそうです。それは、作品を見せて先生や他の学生と講評会をするにも英語がまだわからない!講評を受けても理解できない!(言語の壁はまだ厚かった。)であれば…みんなの先の先の先を行くつもりで、それこそみんながぐうの音も出ないほどに良いものを作るしかない!と、がむしゃらに制作に打ち込んだというのです。

そして、今日の冒頭で書いた中間成績。デザ男くんはどうだったかというと?「A以外考えられなかった」そうです。「へ?👀それはA以外の評価を取るなんて嫌だったってこと?それくらい打ち込んだってこと?」と聞くと、「そう。今の美大生も、みんなそうじゃないかなぁ?」との答えが。そうなのか?はひゃ〜【デザイナーの妻】の学生時代とは大違いだな。

「実際、成績はAが多かったの?」と聞くと「うん」とサラリお答えが。ちょっとドヤ顔に見えたのは気のせいかしら👀でも、どれだけ制作に打ち込んでいたかという話の続きで、卒業制作のポートフォリオ制作に打ち込みすぎて、インターン先での仕事まで手が回らず、インターンシップの成績が「Incomplete」つまり「未修了」になったと言って笑っていました。「未修了」あるやん😂でもそこはぜーんぜん気にしていない模様です。デザ夫よ、さっきのドヤ顔はなんだったのか。オモシロすぎです。


美大を卒業してすぐ、ペンタグラムで仕事を始めた初期の頃に活躍できたのは、この時までに身につけたスピード(作業がとにかく早い)、非言語的なコミュニケーション能力、さらに感覚を掴む力のおかげだったと言います。当時制作に関わった自分の作品を振り返ると、デザイナー夫は「自分がデザインしたロゴなどを見ると、薄っぺらいなぁ…若かったなぁ…と感じる」と言います。つまり自分に何か秀でた能力があったわけではなく、初期の頃を切り抜けてこれたのはスピードが早かったことが大きいと感じるようです。

学生たちやデザイン講義を受けてくださる方の質問に答える際、よくデザ夫さんは作業スピードを上げることや非言語的なコミュニケーション能力を身につけることを励ましています。20年前、25年前にデザ夫さんが仕事し始めた頃と現在では、デザイナーが働く環境はかなり異なりますが、デザイナーとして身についていると良い原理原則は変わらないのでしょうね。


さてさて、中間成績の面談も一通り終え、ほっと一息。かと思いきや…


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今週は、とあるビジネスセミナーでレクチャーをする予定があるのです。こちらは数ヶ月前にいただいたお話で、ずっと読書・勉強・勉強・準備・勉強…を重ねてきているプロジェクトです。だんだん準備が整ってきたというよりは、ずっと青い顔をしているように見えます、我がデザイナー夫です。

さて、どうなることやら。息つく暇もなく、デザイナー夫の戦いは続きます。【デザイナーの妻】は今日も陰からこっそり見守り(観察し)ます。

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デザイナー観察日記#14、読んでくださってありがとうございました。


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