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6/21

最近よく遊んでもらっているDJ、SHOCHANGから6/21に西荻窪にあるライブハウス「Pit Bar」でイベントというわけじゃないけど飲み会があって、DJやるから遊びに来ませんか、とお誘いを頂いた。「ちょっと入りづらい店ですけど」と彼は言った。もちろんそう言うには理由がある。「Pit Bar」が入っているビルにレディース・バー、つまり熟女バーが入っており、その店の看板がとても目立つからだ。店の名前は「熱帯夜」。

実は今から20年ほど前に開店したばかりの「熱帯夜」に入ったことがある。当時何かと遊んでもらっていた友人が、店長を務めることになり、挨拶がてらに遊びに行った。当時はレディース・バーではなく普通のキャバクラだった。そこで劇団員をやっているという女の子を付けてもらい、一時間ほどおしゃべりをしたことがあった。まさか音楽がきっかけで「熱帯夜」のことが繋がるとは思いもよらなかった。

それはさておき、「Pit Bar」はパンクスが集まるライブハウスだった。店にはハードコア・パンクのレコードやTシャツ、その他様々なものが売られていた。フロアとステージがフラットになっていたり、店内にミシンが置かれているなど、随所にパンク・カルチャーを感じさせる店だった。DJがプレイする音楽は多種多様で、それを聴きながら踊ったりおしゃべりをしたりして過ごした。

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(Photo By Momo Ogaki)

写真で僕が持っているレコードはCopa Salvoの「おまえだけをI LOVE YOU」。この曲はフロアで何度も聞いていて、聞くたびにいい曲だなあと思う一曲だ。少し時代がかった歌謡曲のエッセンスが堪らない。何度聞いても同じストーリが頭に浮かぶ。

*****

喫茶店(今どきの「カフェ」ではない)で向かい合う男と女。仲が悪いわけではない。男は気遣いもできる優しい性格だ。出世の見込みは薄いかもしれないが、収入は安定している。ガツガツした上昇志向はない一方で、その日暮らしに甘んじているところがある。また、喜びであれ怒りであれ、感情を顕にすることがなく、それは男の魅力ではあるかもしれないが、熱い気持ちを感じることが極端に少ない。女はそこが気になる。

女は将来を考えなくてはいけないと思っている。この人といるのは確かに楽しい。一方で自分にはやりたいことがある。それは今の暮らしのままではどうしてもできないことなのだ。彼は私が自分のやりたいことのために別れると言ったら、感情を顕にして反論や説得をするだろうか?それとも...。そこが分かってしまうと関係が壊れてしまいそうで、いちばん大事なことを、もうずっと聞けずにいた。でも、もう時間がない。このままではどこにも昇れず、地に横たわるだけになってしまう。

胃が縮み上がり、身体の中にあるものがすべて逆流しそうな思いで、女は自分の考えを話した。言葉は跡切れ跡切れになり、時には適切な言葉を選ぶことができなかったかもしれない。でも男は口を挟むことなく、こちらの顔を見ながら静かに話を聞いていた。男は女にできるだけ重圧をかけるようなことがないように表情を柔らかくしている。とても長い時間をかけて、女はすべてを伝えた。男は柔らかい表情で「わかった」とだけ言った。女はそれを残酷だと思うと同時に、解放された気持ちになった。

二人は別れることもなく、その後も連絡を取り続けた。たまに交わされる会話は以前にもまして中身の薄いものばかりとなった。男は仕事をし、部屋に戻り、自分のために簡単な料理をして、食べて、眠る。女も似たようなものだったが、自分のための準備を着々と勧めていた。そうやってお互いに全く別々の時間を過ごした。二ヶ月がたった頃、いつもの喫茶店で二人は話をした。女は日本を発つ日を告げた。男はやはり柔らかい表情で「わかった」とだけ言った。

出発当日は一緒に空港に行った。平日であったが、空港は思ったよりも人が多い。それぞれが行き先への思いを語り合っている。それが二人の気持ちに影響を与えたのか、会話は徐々に減っていった。搭乗時刻が迫り、女は搭乗ゲートに向かう。元気でね、と女が言う。わかった、と男が言う。男は女の背中が見えなくなってから展望デッキに向かった。

女が乗った飛行機を見上げながら、男は考える。どうしてこんなことになってしまったのだろう。二人は決して憎み合っていたわけじゃなかった。だとしたら、男にはまず言わなくてはいけないことがあったはずだ。なのに男はそれを伝えなかった。なぜか別の方法でそれを伝えることばかりを考えていたし、そんなことばかりしていた。でも今、それは間違いだったとわかる。おまえを愛している、と伝えなくてはいけなかった。もともとそれ以外の言葉は男の中にはなかったはずのだ。それなのに...。男は気がつく。

「他の方法」でうまくやれることはたくさんある。うまくやれるやつもたくさんいる。でも「他の方法」ではうまくやれないこともたくさんある。そして「他の方法」でうまくやれない人間だってたくさんいる。問題は俺が「他の方法」でうまくやれないことをやろうとしてしまったこと、そして俺はうまくやれない人間だと気が付かなかったことなんだ。

飛行機はとっくに見えなくなっていた。男は嗚咽をこらえることができなかった。他の方法ではうまくやれないし、あったとしてもこれ以外にできることはないと男はすでに気がついていたからだ。

*****

このストーリーにある光景は、今現在では全くリアリティがないものだ。航空技術もSNSも発達し、日本を出たくらいで永遠の別れになることもないだろう。でも「おまえだけをI LOVE YOU」のメロディーからは、この失われた情景を連想させる。だからこそ僕はこの曲が好きだし、案外みんなも似たような気持ちになっているのではないか、と思っている。

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