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一オタクの記憶の中の「さくらももこ」さんデビュー

はじめに

まず前置きとして。
元々本稿で考えていたネタ(デビュー当時のさくらももこさん)があったのですが。
改めて今回ネット検索していたら、こんな素晴らしい調査がありました。

[PDF] 「りぼん」投稿時代のさくらももこ・矢沢あい・吉住渉 - 甲南女子大学
http://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/ribon.pdf

本稿を書くにあたって、これほど理想的な資料はちょっと考えられず、なのでもう、以下は全面的にこの信時哲郎さんの労作(以下「信時論文」)に依拠して書くことにします。
その点、ご承知おきください。

【2020/7/12補記】

このように書きましたが、時系列的に合わないのでは(?)という感じのデータもあったので、それについては必要に応じて補足します。
文中に出てくる「虹を渡る7人」発行が1985年3月発行なのはネットで確認した感じでは確からしく思えるので(自分も持ってたはずなのに、整理が悪くて今見つかりません)、それを基準として考えます。


「りぼんNEW漫画スクール」異例の選評


私は小さい頃から少女漫画が好きでした。
それには妹の影響もある程度あるかとは思うのだけど、多分乙女ちっくなものに惹かれる心性が生まれながらにあったのだろうと思います。

と、前置きはともかく、そんな次第で高校・大学時代には大喜びで「りぼん」とか「なかよし」を読みふけるオタクな学生だった私です(小田空、萩岩睦美、竹本泉などがお気に入りでした)。

そんな頃の私にとってとても目立って見えたトピックの一つが、さくらももこさんのデビュー。
当時の一介のオタク青年の目に、この人のデビューはなかなか衝撃的で、いわば「彗星のようなデビュー」という感じだったのです。

……ということが、後にあれだけさくらももこさんが有名になったにも関わらず、あまり知られていない気がします。それが、今回思い出話を語ろうと思った理由です。

まずはこれをお読みください。

〔評〕私たち編集部は「ももこ作品」について、今回改めて考えてみました。その結論であります。
私たちは、ももこ作品を今までに7編読んだ。どれも心なごむ、ももこ君独自の世界であった。ストーリーギャグ漫画とはスタイルも、狙いも、趣も異にしているが、まぎれもない、ももこ君ならではの漫画世界である。言葉をあてはめれば、エッセイ風漫画といえる。ももこ君の作家的資質も、エッセイ風漫画に適しているようである。
既成作品の枠にあてはめては新しいスタイルは生まれてこない。ストーリーギャグを勧めた176回の批評を撤回します。ももこ君、エッセイ風漫画を完成させて下さい。スクールは開拓者をバックアップします。ガンバ。


まんが読みなら、漫画雑誌には大抵ある投稿コーナーにもそこそこ注目するものですが、そこにある日載ったのがこれ↑ですよ。
(信時論文によると1985年8月号掲載の「りぼんNEW漫画スクール」178回【1984年の誤り?】)

もう一度繰り返しますが、

《私たち編集部は「ももこ作品」について、今回改めて考えてみました。》

《ストーリーギャグを勧めた176回の批評を撤回します。》

まんが投稿コーナーのたぐいで後にも先にもこんな選評見たことありません。物凄く異例であり、当然、すごく印象に残りました(※註)。
なんといいましょうか、編集部の皆さんが投稿作品のパワーに押されて意見を変えたというのも凄いと思ったし、そのことを公表する「りぼん」も凄いと思ったんです。

そして実のところ、それまでもさくらももこさんはエッセイ風漫画を「りぼんNEW漫画スクール」に投稿しており、それも確かに私の記憶に残っていました。
(サンプルページみたいなのが載りますからね。)

例えば、後にデビュー作として用いられる「教えてやるんだ ありがたく思え」あたりは、サンプルページだけ見ても面白そうに思えたような記憶がおぼろげに……。
(同上参照・1985年2月号・172回【1984年の誤り?】)

(あと、「うちはびんぼう」も何だかイメージに残っているのだけど、信時論文に載ってないから、これは記憶違いかもしれません。)

さて、そうこうするうちに実際にさくらさんがデビューすることになりました。
その──少なくとも私にとっては注目の──デビュー作「教えてやるんだありがたく思え!」(同上参照・「りぼんオリジナル」1984年冬の号)、もちろん読みました。面白い!と思いました。
この時から、いわば私はさくらももこの最初期のファンになったわけです。

ついでにいうと、この年に「りぼん」からデビューした人の作品は後で『りぼん新人まんが傑作集 【3】 虹を渡る7人』(1985年3月発行)としてまとめられるのですが(当時「りぼん」はそういうアンソロジーを毎年出していました)。
今の目でこの本を見ると、後々ビッグネームになる人がやたらと多い、超当たり年だったことが分かります。さくらももこ、柊あおい、吉住渉、矢沢あい……

その辺りのことについてはこちらのブログが詳しいので、詳細はおまかせしようと思いますが。


「ちびまる子ちゃん」と、その後


そんな感じでさくらさんの初期作品を追いかけているうち、いよいよ「りぼん」本誌で連載もスタート、ということで始まったのが「ちびまる子ちゃん」。

Wikipediaによると「ちびまる子ちゃん」第一話が「りぼん」に掲載されたのは1986年8月号。単行本第一巻の発売は1987年7月。

この頃は「ちびまる子ちゃん」、まだマイナーの上にもマイナーで、この単行本を人に勧めたりもしたけど「こいつまた変なマンガを勧めてきた」と胡散臭がられたりウザがられたりしたことを覚えています。

その後、TVアニメの放送が1990年1月から始まるわけですが、私自身「おやまぁ、随分思い切ったチョイスをしたものだ」と応援半分、冷やかし半分ぐらいの気持ちで眺めていたように思います。

が、それから若干の間をおき、EDテーマ「おどるポンポコリン」が一大ブレイク(CD発売は1990年4月)。当時はちょうどバブル景気たけなわで、その当時の浮かれた世相と、さくらももこのイカレたセンス(褒め言葉)が奇跡的にマッチしたのが勝因でありましょうか。

「おどるポンポコリン」が契機となって「ちびまる子ちゃん」の作品自体の面白さも世に認知されるようになり……という流れで見ていいと思うんですが。あとは日本人なら誰もが知る人気作品の座へとみるみるうちに駆け上っていったわけです。

ただ……どういうものか、このあたりから私は「ちびまる子ちゃん」をあまり真面目に追いかけなくなっていました。

好きな作品が急にメジャーになって、却って熱が醒める面倒くさいオタク心理のためか。単純に飽きてきたのか。それとも身辺が忙しくなったせいか。
正直よく覚えていません。

漫画版では作者のモノローグと見えるツッコミ部分がアニメだと第三者の声(キートン山田氏)として処理されていることへの違和感なんかも、ひょっとしたら若干手伝っていたかもです。

なんにせよ、その後の「ちびまる子ちゃん」もその他のさくらももこ作品もろくに追いかけていないので、今やもう口が裂けても「私はさくらももこさんのファンです」などとは言えませんが。

まぁとにかく、こんなことがあったなぁということでここまで思い出を書いてみました。

(念のため書きますが、別にさくら作品が嫌いになったとかいうことでは全然なく、何かのことで手元に入れば読むでしょうし、この人はすごい天才だったとも思っています。
たぶん、デビュー当時に私が思っていたのを遥かに上回る、本当に多方面に渡るセンスを持っていた人だったのだなと、今の私は考えています。
ただ──どうしたわけか、今の私には熱意を持ってさくら作品を追いかけようとか読破しようとか言う気が起こらないのです。理由はよく分かりません。)

あと、ついでという感じで書いておきますが。
『さくらももこのオールナイトニッポン』という番組がありました。
これもWikipediaによると1991年10月21日から1992年10月12日まで。

といってもこの番組、私、まったく聞いた覚えがなく。
それどころか、こういう番組があったということすら「知らなかった」はずだったのですが。
ある時、自分の録音したカセットテープを整理していたら、どうしたことか、この「オールナイトニッポン」を録ったテープが一本あることに気づきました。

録音までしておきながら、番組の存在それ自体すら完全に忘れてしまうなんて……!
一体そんなことってあるんでしょうか。
(と言っても、そんなことがあったとしか思えないのですけど。)

これは今でも不思議です。

まぁこんなところで、思い出話も完全に終わりにしようと思います。

締めとして、追悼で上がっている次の動画を。
14:23あたりで流れる曲(仲よしマーチ)が楽しいです(時間指定してみました)。


(※註)ちなみにその176回の選評というのは信時論文によると

エッセイ漫画としてはまあまあの完成度である。が、エッセイ漫画ではすぐにお話のタネがつきてしまう。ユーモアストーリー(ギャグ漫画)に挑戦しようではないか。

……等々というものです。
ともあれ私は、上掲の178回選評によって「漫画家さくらももこ」が事実上誕生したのだと考えています。


補足:さくらさんのデビューにあたっては「りぼん」編集の「みーやん」こと宮永正隆氏(当時のりぼん読者なら「みーやんのとんでもケチャップ」でおなじみのはず)の判断がどうこう、みたいな話もあるらしいとか。そんなエッセイでもあったりするんでしょうか?
ただ、当時の一オタク学生には分かるわけもない裏事情ですし、本稿では気にしないことにします。