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短編小説:残された者たちへ

食器を洗う水音、注文を取る店員の声、軽快な洋楽。結婚式でよく流れる定番の…おそらくBruno Marsであろう曲を聴きながら人を待つ。
結婚式場に勤めていた頃には嫌というほど聞いていたのに、今ふときくとホッとする思い出の曲になっている。
そんなことを考えていたらテーブルの向こうにある椅子が動いた。

「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところ」「よかった」

カフェオレを。あ、甘めでお願いします。
と言いながら真斗(マサト)が椅子に腰掛ける。顔が濃く強面な見た目と裏腹に、珈琲はブラックで飲めない甘党なところ、いつになっても変わっていなくて安心する。

「ごめんね、忙しいのに急に呼び出して。」
「全然。先週で仕事は山場を越えたし、最近会社の人材を増やしたんだ。だから少々俺がいなくても会社は回るし、むしろ社員がビビって気が散らなくて円滑だよ。蒼(ソウ)が今手一杯になってて目を回しているけどね。」

蒼は真斗の、いわば右腕である。高校時代から成績は学年トップ、そのまま青山学院大学を勿論首席で卒業後、大手医療メーカーに就職していたが、その頭の回転の速さや仕事っぷりに魅了された真斗が、自身が代表を務める株式会社サクソニーに引き抜いた。そうして真斗の右腕として、タスクを楽々こなしていたイメージのある蒼が、現在手一杯で目を回しているということは、やはりかなり忙しいのではないか。

「無理させないようにね。いくら副支配人の立場とはいえ、人間辞めるときはあっという間なんだから。支配人が休ませてくれませんって。」
「あいつはそんなこと言わないよ、根っからの仕事人間だし、」
何より俺が目をつけた男だから。と満面の笑みで答えるこの男も、そうだった、脳内純度100%の仕事大好き人間だった。パワハラ。

「そんなことより、珍しいじゃん。こっちにくるからって俺にわざわざ連絡をくれるなんて。何、やっと俺のこと男としてみてくれるようになったの?」

パワハラ男の相変わらずのお調子者ぶりに、ため息を吐きつつ、本題に入った。

事の発端は、私が飼っている三毛猫、ナナが病気になったことから始まる。
食道癌だった。気づいたときには既に全身に転移しており、現代の医療ではもう施しようがなく、残り僅かの余生を楽しく過ごせるように、一緒にいてあげてください。といつものおじいちゃん先生に言われた。

元々拾った時から体の弱い猫だった。でも目の奥は鋭く、だれにも救われてやらないという強い意志を感じる目をした猫だった。まるで矢沢あいのNANAだな、とおもい、ナナという名前を付けた。当時住んでいた大崎ハイツというアパートにも由来している。まあ、名前の由来はブラストの方だが。

そのナナが、つい2週間前に天国へ旅立った。一緒に過ごした7年という間、幸せだと思ってもらえただろうか。天国では高くてあまり食べさせてやれなかった“超高級“にゃんにゃんチュールをおなかいっぱい食べれているだろうか。拾った時から最後まで人に懐かない猫だったが、死ぬ直前に初めて自分から私の膝にのり、毛を私の服にベッタベタにつけてきたので、いつもは触ると怒る、三毛猫にしては珍しい真っ白な尻尾を触り、頭を撫でた。その約三十分後、最後は眠るように、苦しむことなく逝った彼女を思いながら、三日間、使うものがいなくなったゲージを見つめては一人、泣いた。拾った時と同様、外はずっと雨が降り続けていた。

一週間経ってやっと、現実を受け入れるようになった。そうして、ナナを拾ったその場に居合わせた真斗に報告することを思い立った。元はといえば当時実家暮らしの彼の母が猫アレルギーだったこともあり、私が引き取ったのだが、暇を見つけては遊びに来て、大層ナナのことを可愛がっていた彼に、どうしても会って報告したいと思った。

「…そっか。」
一通り報告した後の長い沈黙と、そのたった一言が、数分前にお調子者っぷりを発揮した彼が悲しんでいることを知るには十分だった。
「お前から病気のことを連絡貰っていた時、元々体も弱かったし、覚悟はしていたんだ。」

そういいながら先程注文した甘めのカフェオレに手を伸ばしたので、私も頼んでいた珈琲に手をつけようとした。
「あ、そうだ」渡すものがあったんだったと言いながら鞄を漁り始める私を横目に、真斗はテーブルにおいてある角砂糖を追加し始める。まだ甘さが足りなかったのか。糖尿病になる日もそう遠くないなと思いつつ、目当てのものを見つけ、彼の前に差し出した。

「これ」
今回真斗に会いに行く前に現像しておいた、彼とナナの写真、それといつぞや彼がナナにプレゼントしてくれた、鈴のついた首輪を机に置いた。まあ、ナナは慣れない首輪に嫌がって、ほとんど着用したことはなかったが。

「私は、あなたとナナを守ってきたと思っているから。」

一人暮らしをしつつ、体の弱いナナと暮らす事は決して楽なことではなかったが、それ以上にナナと、真斗と過ごした時間はかけがえのない時間だった。私が死ぬとなった時に見る走馬灯には、きっと彼らは現れるだろうと思った。
「ははっ、熱烈なお言葉をありがと。」と語尾にハートが付くような言い回しに、思わず私も吹き出した。

「こっちに帰ってくる時、ナナに会ってあげて。」
「勿論。お土産は”超高級”にゃんにゃんチュールを箱買いして持っていくよ。」
「覚えてたんだ。それにしても箱買いはリッチだよ、さすが支配人。ただその量だとナナが天国で太っちゃうから、ほどほどにね。」
「そりゃ、あれだけの食いっぷり忘れられないよ。皿から突散らかしてたからな。あっちでは散らかしまくっていっぱい食べてほしい」

そういう彼の顔は、懐かしむ様な穏やかな顔だった。

「あと、何より天国はどれだけ食べても太らないからな。」
「なにそれ」

こうして、ナナの事を笑って話せるくらいになった。悲しみは時間が解決してくれるというがまさにそうで、勿論彼女を忘れることなんて有り得ないが、いつまでも綺麗な思い出として見つめていたい。いつの日かのさよならの為に、全ての人間は毎日を生きている。猫の世界がどうかは分からないが、ナナにとっての最後のさよならが、きっと私の膝の上ということだったのだろう。そうであってほしいという私からの我儘だ。

「ありがとうございました〜。」
気だるい店員の声を背にカフェを出る。

「今日はありがとうね。元気そうでよかった。」
くる時まで降っていた雨は止み、虹が出ていた。
「こちらこそ、わざわざありがとう。大事な形見まで。大切にする。」
「どういたしまして。」

駅までの道を二人で無言で歩く。ナナのことがあったから連絡を取ったり、遊びに来たりもしていたが、もう会うこともないだろう。特に寂しいなどもないはずなのだが、無性に何故か心がざわついた。すぐに多分ナナの事を唯一知っている友人だからだろうと自分で結論づけた。いや、果たしてそうなのだろうか。

「あのさ」

不意に降ってくる言葉に、考え事をしていた私は咄嗟に真斗の方に向き直った。


「ナナにも会いにいくけどさ、またお前にも会いにいくよ」

だからさ、と言葉を続ける彼に被せるように、

「あったりまえじゃん!」

というと、彼はまた穏やかな顔で、そうだな、と答えた。

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