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日記 0916-0926


9/16 土

少し遅めの夏休み、京都旅行に行っていた。

京都って建物は低く道は広いからのびのび散歩できる。都会なのに視界良好なので山も見えるし、空は広い。街の中にせらせら流れる小川がある。このまま住んでしまいたいと何度思ったことよ。素敵なお店にもたくさん行ったからあとで備忘録したいなあ。

鴨川で遊泳中の鴨



帰りの新幹線の中で『海辺のカフカ上』読了だった。車両の1番前の席、少し広くて快適だった。

最後に読んだ時から随分と時間が経っているというのもあるだろうけれど、読むたびに新しく、深くなってゆく感覚がある。おおこれは、という一節を眺めていると、普段はひっそりと身を潜めているけれど、確かにずっと、私の中にあったものの存在に気づかされる。なにを選び選ばないのか、自由であるものの責任が、綴られていた。




9/18 月

ずっと眠い、体もだるい。眠気が常に後ろに控えているような日。

お風呂屋さんでシルク湯に浸かる。体感39℃くらい。長く浸かってるとじんわり内側から温かくなってくるのだけど、これは体にくっついてくる気泡のおかげらしい。ふと白いお湯の表面に煙のような、靄のようなのがうっすらかかっているのに気づく。それが風に揺られて、幽霊みたいに空に伸びてゆくのが、ちょっと幻想的だった。


帰宅後にみた呪術廻戦。平和な公園に子供と呪いがわらわらいる風景。大きなシャボン玉に小さなシャボン玉がくっついる様は、なにかの卵みたいで不気味だ。善意の衣を纏った悪意の卵とか。なんだかそんな深読みをしてしまうほど、印象的なシーンだった。



9/19 火

朝、側溝に50円を落としてしまった。悲しいよう。

スタバで本読みした。さつまいもフラペチーノのおすすめをかわしチャイティーを頼んだら、チャイお好きなんですかと聞かれる。好きですと答える。『硝子戸の中』の続きを読む。漱石先生の目に映るもの、心に浮かぶものは、時代や性別の壁などするりと超えて、私のところにまでやってきてしまう。これが文豪かと思う。文豪なのに、正直で、繕うところがなく、ユーモアだってある。面白いな〜。


ご飯食べながらvogueのwhat’s in my bagのいくつかの動画を見た。毎度エマワトソンのモノ詰め込みすぎの岩のようなバックに驚く。他人のバックの中身みるの好きなんだよなあ、これ見た後って絶対自分のバックの中身見返しちゃうんだよなあ。




9/25 月

帰り道、自転車に乗りながら秋の澄んだ夜気をめいいっぱい吸い込むのが気持ちいい。月に薄くかかる雲には光が滲んでいる。まわりの空には何もなくて、この吸い込まれそうな青は何色というのだろうか。




9/26 火

やっと『アステロイドシティ』を見てきたよ〜。Tシャツ付きのムビチケを買っていたため、ものすごい満を持して感。


わたしがやられてしまうのは、砂漠に佇む可愛らしいカフェやモーテルなのはもちろんのこと、この街にやってきた人間たちの寂しさや、虚しさだったりもするのだよね。

いまそれをすることにどんな意味があるのか?そもそも宇宙人は何のために?隕石はどうして落ちるの?

挙げればキリがない人生と映画にまつわる?マークは?のままにして、訪れた眠りと混沌に身を埋めればいつか何かに気づくものなのでしょうか、、教えてウェスアンダーソン!

毎度のことだけれど、もう1回、見たい、、


夢といえば今日、小さな青い巾着に物を詰められるだけ詰めて出かける夢を見た。なんの暗示?



半袖で過ごした9月もあと少し。セールで買ったサンダルはまだ履けるかな。


では。

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