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笑い話で済まないことを書く

こんな記事を書きました。



今までの人生いろいろ間違いだらけですが、このことに関しては、いつまで経っても自分の選択を悔やんでいて、いつまで経っても相手を嫌悪している、そんな自分が嫌、という内容です。

以前にも書きましたが、私は自分が問題を抱えていたり、悩んでいる時、以前は誰にも話す事ができませんでした。
今でも"話して伝える"ことは私にとってとても難しいです。
笑い話で済まない事は特に。

私が誰かに話す時は、すでにどん底のピークを過ぎているか、問題や悩みが解決している時です。
「今はもう大丈夫なんだけどね。」
で終わらせる事が出来れば、相手を暗い気持ちにさせたり返答に困らせずに済むからです。

でもnoteを始めてから、解決できていないことを書いて載せる、という事ができるようになりました。誰の特にもならないので申し訳ないのですが、私はそれでとても救われています。

今回もそうです。

まず、皆さんにもそれぞれ過去には私には計り知れないほどの辛い経験があって、それを考えるだけでとても悲しくなりました。

私のフォロワーさんたちは、人に優しく寛大な方たちばかりです。

上記の記事にスキを押してくださったことや、いただいた優しく愛のあるコメントにとても癒されました。
本当にありがとうございます。


コメントを下さった夜に、ご自身のお辛い経験と現在の心境を綴った記事をろっかさんが書かれていて、私は自分の心のモヤが晴れるのを感じました。


以下私がろっかさんの記事にコメントした内容です。

客観的なことだと冷静に、そんなの憎んだままで当然だし一生許さなくていいよ!って思えます。
私自身もそれでいいんだと思えました。
友達も、本当に大切な人とは繋がってるし再会もできたのだから、何も不満に思うことなかったですね。

客観的に捉えるという事がどんなに大切か。

私は自分の記事で、しつこく中高の友達を失ったと書きました。

でも考えてみたら、本当に大切な友達は私にメールができないと知るやいなやショートメッセージをくれ、今でも仲良くしています。

もうひとりの大切な友達は、20年以上の時を経て再会することができました。
(この子には後に私からショートメッセージを送りましたが、彼女もキャリアを替えていて、連絡が取れませんでした。)

逆を言うとその他の人は、これは冷たい言い方ですが、私に連絡する用事もなければ、私の方も特にどうしても繋がっていたい人はいなかったわけです。

ただ部活の集まりや同窓会に行かれないことに若干の寂しさは感じるものの、参加できないことで困ったことは今までありませんでした。

大袈裟に悲劇にしていたんですね。
恥ずかし恥ずかし。

書いたことで、まず「いい加減にしろよ」と自分を叱咤し、
スキやコメントをいただいて癒され、
ろっかさんの記事を読んで浄化できました。

また、ゴリラと子ブタのなおちゃんにも背中を押してもらいました。
いつまでも許せない人がいる事に、罪悪感を持つ必要はないのだと思えるようになりました。


この歳になって、こんなにもたくさんの方に助けてもらえる場所があって、私は幸せです。

本当にありがとう。
noteをやっていて良かった。
ここでの出会いと繋がりに感謝します。

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