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異動と仕事の本質。

辞令発表日は、例年、祭りのような熱気を帯びる。○○さんはどこそこらしいとか、△△さんの役職がどうとか、ビル全体が忙しない。どうせ数日後には分かるのだが、卸業者宜しく、せっせと配達を済ます。ビジネス哲学なる学術分野があれば、「日頃が往生」なんて太字の下線付、テスト最頻出の重要フレーズだ。


「来月から事業部に異動です。希望していた営業職らしいよ。出きるところから後任に引き継いでください。」


相応の淡白さ。時間と発信元とで、事前に、ああ、と合点が行っている。今年は僕か。100%へ収束する確率と、静から動への変化を感じながら、ひと呼吸つく。分かりました、と応じるこちらの口調も、先方にはやや淡白に感ぜられたことだろう。


それから、1ヶ月。


仕事の内容は、確かに変わった。職種柄人と会う機会が増えた。何よりモノを販売し、お金を稼いでいる。営業職なら当然すぎるほどの事実がただただ新鮮。異動先の方も、異動元の方も、慣れないことで大変ね、と気遣ってくれる。


けれどね。


仕事の本質は変わらない。課題を見つけ、解決策を考え、実行する。その繰り返しだ。書籍や会社で「仕事論(こちらもマーカー対象か?)」的なものを見聞きするたび、ずっと胸に抱き続けた仮説。その答えが、確信に変わりつつある。


もちろん、要素は劇的に変化した。


事業論、製品物性/特徴、顧客、共に課題を解決する社内の関係者。その全てが変わった。変わりすぎていて、ほとんど分からないと言って良い。中堅にさしかかり、勉強に費やせる時間は限られる。コロナ禍、思いがけずクラウドサービスが導入され、いつでもどこでも何だって確認できることは、本当にありがたいことだと思う。


昔話だが、小学生の時、クロノトリガーというスーパーファミコンのゲームが好きだった。豊富なエンディングメニューと、一度ゲームをクリアしたステータスのまま、最初からゲームをスタートできる機能に度肝を抜かれた。時代を行ったりきたりできる世界観に魅了され、勉強そっちのけでプレイした。


イメージするエンディング。そんな野暮なこと、胸に秘めておくくらいで良い。今は、数年ぶりにニューゲームをプレイできる充実感、高揚感でもって、膨大な知識の詰め込みを乗り切りたい所存である。先々、化学の面白さ、重要性を説けるというのは、子供にとって、まぁ、悪いことではないだろう。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)