「文章を…」シリーズ 番外編

映画のシリーズ物を全て見ようと決意しても、なかなかそう上手いことはいかないものだ。

華々しいヒットを飛ばしたデビュー作の期待値に反して、回を経る毎にその魅力はほとんど例外無く褪せてゆく。ターミネーター、スター・ウォーズといった名作でさえ例外ではない。これは何も映画に限った話では無くて、かの有名な「こち亀」も100巻を越えた辺りから週刊少年ジャンプ読者向けの漫画で無くなった感があるし、「ハリーポッター」シリーズも3巻くらいから、惰性で読んでいたことを思い出す(※)。私のnoteも例外に漏れずといったところなのだが、「それはそれこれはこれ」と棚に挙げ、数日前の自分にしっかりと便乗し、本編の番外編として「推敲」についてちゃっかり書き留めておきたい。

「推敲」とは、シンプルに言えば、いわゆる文章をチョメチョメすることだ。昨晩「おお、完璧な仕上がりじゃないか。私は天才かもしれない…!」と心震わせたはずのあの構成、デザイン、アイデア達。それも、わずか数時間を経た翌朝に見直せば、「誰が考えたんだこのガラクタは…」と全く違う意味で震えることになる。そんな経験は何も貴方だけのものではない。朝と夜とでは何かと状況が異なるので、それに応じて物事の見え方も変わってくる。(「目に見える景色は人それぞれだ、という話」を参照いただきたい。)心持ちが異なれば、成果物の見え方も変わって当たり前だ。「疲れた夜に大事な決断をするな。」という教えは、そうした先人達の無念を吸っては実る、果実のような知恵なのだ。

文章のマンネリ化を恐れるあまり、表現を突き詰め、尖らせた結果、やたらハイテンションでよくわからない物ができあがっているケースは多い。そんなことを痛いほど自覚しているからこそ、こんな私でも作ったあとで一応一通りの表現を見直すことにしている。その際、絶対に本腰を入れて「やらない」と決めているのが、誤字・脱字や文法上のチェックだ。そんなものは、プロ(お金をもらって文章を書く方)がやればいいのであって、①で述べたように「切り口」を伝える文章においては、少なくとも文意や表現に影響しないミステイクを解消することにより得られる読者の限界効用は皆無に等しい。それより何より、文と文とのつながりや語感、個々の表現、冒頭から結びまでが効果的に機能しているかどうかこそが文章の肝であるのだから、そちらに時間を使うべきなのだ。もちろん誤字・脱字が無いに越したことはないのだが、もっと他にやるべきことがある、つまり優先順位が低いということだ。完璧な文章を1つ作る時間を、他のことに使った方が全体の効用は増加する。極端に言えば、完璧など無いのだから追求しても仕方が無いと諦めている、と言っても良い。もっとも、同じ指紋を誰一人としてもたないように人それぞれに固有のスタイルというものがあって、「精緻な文法こそが私の真価だ」という場合もあろうかと思うので、これはあくまで私の与太話として捉えていただければと思う。

本シリーズにより、一欠片でも参考になる部分があればあれば幸いです、と当たり障りない一文でもって、現場からの報告は以上となります。

※「後半の方が好きよ」という方がいたら、何といいますかごめんなさい。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)