役者な先輩。②
それから、3年後のこと。
突然、先輩が会社に来なくなった。
入院したらしい。
身体的な療養だと聞いた。
実のところ、僕はストレスだと思っていた。
みんなが、そう思っていた。
たとえ”そういう”理由でも、スマートに隠し通してしまう人だったから。
さてと、困った。
思わず頭を掻く。
目の前には、「仕事」がある。
先輩と別(私の1つ上)の先輩。2人がかりでこなしていた仕事が。
先輩は当面入院。
別の先輩に頼りたいところだが、それはできない。
頭上では、ポリポリという音が無機質に響く。
今月末の人事異動で、別の先輩は、もっと遠くにいってしまう。
加えて。
昨年入社した新人をついに「1人立ち」させるための、フォローも行わなくてはならない。
先輩2人と新人のフォロー、どんぶり勘定で2.5人前。(2人前は、しっかり未知の味だ。)
さて、困った。
当時の部署には、マンパワーが全く足りていなかった。
先輩が参画したプロジェクトが結実し、ある会社と無事に合併できたことは喜ばしい。
同時に、それは、カバーする領域が増えたことも意味する。
「現代社会」か何かで習った、年金負担の挿絵。何人かで支えていた高齢者を2人で肩車する、あの図。
随分としんどそうな絵面だったっけ。
せめて、もう少し先のことだと思っていたのだけれど。
それでも。僕は前向きだった。
昨年のトラブルを無事に乗り切り、大きな自信を手にしていた。僕は、みんなの期待を勝手に背負っていた。
1週間、1か月と時間が過ぎていく。
上の人にアドバイスを求めても、上の人も先輩に頼りきりだったのだから、答えを持ち合わせていない。
申し訳ないなと思いながら、入院中の先輩に電話する。
思いがけず、結構元気そうだ。
「入院しなかったら、死んでいたかも。」
なんて、真面目な口調でちゃかしている。回復は近いだろう。
親会社から出向した僕と、子会社の先輩。先輩は、細かいところで年下の僕にさり気なく気を遣う。
いったい、何人分の神経を持ち合わせているのだろう。”使いどころ”が上手いのだろうか。
いつも知らんぷりしては、勝手に感心していた。
言うまでもなく、会社や役職など、演じる役割の違いでしかない。
ショーが終われば、個人の営みに戻っていく。
休日のスーパーで、家族連れの上司を見かけると、話しかけるべきか躊躇したものだ。
主役ではない姿。それさえ見せたいと望む人と、反対の人がいる。
先輩は、果たして。
私の力量からいって、業務に目途を付ければ良いことは明らかだ。
前年に、「自分の限界」も見ることができた。だからこそ、今「できること」に徹せている。
気持ちをしなやかに保つための、ある種の無責任さ。今般もぎりぎりの所でバランスできたな、と思った。
今宵も、机とイスと静けさが、オフィスに異空間を創り出す。独特の雰囲気の中に、先輩の影はない。
2か月後。久しぶりに先輩の顔を見た。
「ご迷惑をおかけしました。」
そういって、と高そうな菓子折りをもって回る。折れない矜持がそうさせるのだろうか。
僕にだけ、内緒だよ、とおまけつきだ。
別に良いですよ。たくさん、仕事を残してありますから。
そう言うと、ニヤッと笑って、役割分担に移ろうとする。
入院生活のせいだろう。どことなくぎこちない。「先輩」のイメージとはいたくちぐはぐで、どこかおかしい。
まだ誰もそのことに気づいてはいない。
「まあ、パトロールでもどうですか?」
僕は本心を悟られないように、ぼそっと声をかける。
先輩は、少し考えた後、
「そうだね。久しぶりに…現場に行こうかな。」
と応じる。
「車、表に回しておいてよ。」
滑らかにこぼれる出る音の出元を追うと、清香月のような瞳が2つ。
なるほど。そうこなくちゃ。
回復は、僕が予期したよりずっと早そうだ。
車に近づくと、キーが人差し指を軸に小気味よく自転していた。
さて。今日はどこに行こうか。
今から、もう、4年前のことである。
↓先輩との出会い↓
何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)