死にたくなったきっかけ

世界には、きっと「死にたい」という気持ちを抱えて生きている人がたくさんいる。
私もその1人だ。

初めて「死にたい」と思ったのはいつだっただろうか。
記憶もあやふやなくらい、昔のことだ。


私は小学校の6年間、家が近所の同い年の子と毎日登下校を共にしていた。

が、彼女とは性格が絶望的に合わなかった。

気が強くて、とにかく自分を貫き通したい彼女。
気弱で、なにごとも穏便に済ませたい私。

しょっちゅう言い争いになっては負けて、走って逃げては追いつかれ(私は本当に足が遅い)、泣きながら家に帰ったのは月に1回どころではなかった。


低学年の頃はまだ良かった。

問題は高学年になってからだった。


3年生ぐらいから、私は彼女ともう1人別の友達(Hとしておく)と仲良く過ごすようになった。
3人で交換ノートを回して、毎日一緒に帰り、私たちの家の2つ手前の交差点で別れるHにいつも手を振った。

先生も知っているいつも一緒の3人組、色々あるけどとっても仲良し。

当時の私たちは、きっと周りにそんなふうに見えていた。


でも、あの日を境に全て変わった。

今でも覚えている。2015年4月6日。
6年生の最初の日のその放課後、私たちは遊ぶ約束をしていた。

Hの家の近くの公園で3人仲良く遊んでいたところに、彼女は言い出した。

「ねえ、Hちゃんの家行こうよ!」

Hは、リビングでお菓子食べるだけならいいよ、と言ってくれた。優しく目を細めた笑顔だった。


ただ、彼女はその「リビングでお菓子食べるだけ」の約束を守らなかった。

「ねえ!私Hちゃんの部屋気になる!入っていい?」

こんな感じだったかな。もう一度書くけれど、彼女は気が強くて断ったら面倒だった。

Hの部屋に私たちはあまり入ったことがなかった。Hは自分の部屋に人を入れるのを好まないような感じだった。(あと、「彼女」は勝手に人のものを触ってはぺちゃくちゃと感想を言うところがあったからだろう。)

Hは嫌そうにしていた。私は気付いていたけど、止められなかった。

Hの部屋で、彼女はいつも通り好き勝手に騒いで...


「ねえねえ!この写真いつのやつ?」


その時、Hは「いい加減にしてよ!」と叫んだ。「堪忍袋の緒が切れる」とはああいうことを言うのだな、と今になっては思う。
リーダーシップのあるHの、優しい笑顔はそこにはなくて、Hは手を握りしめて震えて怒っていた。
泣き出しそうにも思えた。

それでも彼女は他人事のようにしていて。

それにさらにHは腹を立てて、言い合いになった。私は見ていることしかできなかった。

しまいに、彼女は「わかった、もう帰るから!」と口にして、家が近いので私も彼女に仕方なくついていく形で一緒に帰った。


私は、小学生の幼稚な思考なりに、彼女はいつもわがままばかり言っていたから、Hはずっと嫌な気持ちをしていて、それが今日爆発したんだ、と考えた。

そう考えさせるだけのものが彼女にはあった。

私だって、結局最後まで言えなかったけれど、彼女に合わせるのは相当なストレスだった。辛かった。

そして、私は個人的に、しっかりしていて頼れるHに少しだけ憧れていた。

だから、私はHの味方をしたかった。Hとは友達のままで、彼女とは絶交でもいい、と思っていた。


でも、1年生から一緒、親も仲良し、家は近所、そして彼女は気が強い。

私は彼女を選び、Hを選ばなかった。


いや、もっと端的に言うと、Hを選ぶことから逃げた。


その日から、優しい彼女はどことなく暗い表情で、仲良かった私たちが急に話さなくなったことは先生にも心配された。


Hとは、それきりだ。

私は中学受験をして私立に進学し、Hは地元の中学に進学した。
家もさほど近くないのですれ違うこともない。

小学生の時は携帯を持っていなかったので、連絡のとりようもない。


一方で、家が近い彼女とは時々会う。学校の行事の話とか、学生っぽい世間話をして、私個人に話が及ぶ前に去るように逃げる。


もしいつかHに会えたらその時は絶対謝りたい。

彼女が覚えていなくても、気にしないと言われても、今更遅いと言われても、それはなんでもいい。

ただ、大好きな友達、憧れの友達だった彼女に罪滅ぼしをしたいと思っている。




あの日の後悔は、いつの間にか「死にたい」という思いに昇華した。

それでも私は、Hに謝るまでは死ねないとも思っている。


抱えた矛盾はまだ、重すぎる。


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