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同じ価値観を持ってる人が一緒にいるんですかね

久々に文章を書きます。

以前友達に言われた言葉を、今でもよく思い出す。

「人って結局同じ趣味とか好きなものじゃなくて、価値観だよね」

その言葉を聞いた時の衝撃と言ったら…。なんでこんな言葉がサラッと言えるんだろうか。私はこの人に会えてよかったと思ったし、以来いろんな人にこの話をした。

同じ趣味の人って、やっぱり趣味の中でコミュニティを作って、その趣味を中心に話を広げるから、友達とか、親しい関係の人になれるんだと思う。
同じ価値観を持ってる人って、なかなか会えないような気がする。趣味じゃない出会いから、本当に自分と合う人かどうかっていうのを見極めるには、それなりの体力と気力と根気強さが必要だと個人的に感じている。
だから新しく出会った人と初対面で話すことはできても、それ以上でもそれ以下でもない。その場で終わり、仲良くなることが苦手。新たに大事なものが増えちゃうと、それだけで今まで親しかった人との時間を割いてしまうような気がして。今までいた友達の方がお互いの素を知れているから、一緒にいて楽しいし話しやすい。
知り合った後、長く続かない人間です。

そんな私が、久々にこんなに価値観が合う人他にいないかも、というくらい同じ趣味に対する感情も感覚も好みも会う人に出会った。すごく嬉しかったし、心のどこかでは出逢いたいと思っていたから、普段は断る誘いも行ったり、2回3回と会ったり。その人のことをよく知りたかったし、その人と出会ったことで、一人じゃないんだと思た気がした。

最初は順調だったし、苦しくなかった。大丈夫だった。だけど、一緒にいるうちに気づいてしまったのが、出会いから価値観が合うと思ってしまうと、合わない時に苦しくなるということ。違うということに勝手に絶望してしまうということ。

美術館に行って、いいなと思った絵が違っていたり、LINEをして、そういうことを言いたかったわけじゃないんだけどな、っていう返信が来たり。でもLINEって温度感が伝わならいから、どういう意味で言ってるのか全然わからない。私の伝え方が悪いのかもしれないし、相手との齟齬かもしれない。
また「やっぱりだめかもしれない」って思い始めている自分が嫌だ。相手は全く悪くない。むしろ私を信頼して、素を出してくれているのかもしれないし、本心を伝えてくれているのかもしれないのに、どうしても合わないという感覚が、絶望として頭に残ってしまう。

私が親に悩みを言えないと言った時、「暗いね」というひと言を言われた。私はそれで1ヶ月は悩んだ。暗い、そうかもしれないけれど、それはどうしようもないんだよ。それが私なんだよ、今更変えられないんだよ、わかってよ。本当はそう言いたかったけど、嫌われるのが怖くて笑って誤魔化した。苦しかった。本当にどうしようもないし、相手ももちろん悪くないし、悪気があっていったわけじゃないってわかるからこそ、ずっとずっと辛かった。

友達が、人って同じ親から同じ顔、同じ名前の2人を全く同じように声をかけて育てても、その2人は全く同じように育たないんだってと言った。急にそんな話をしてきたのでびっくりしたけど、その話を聞いて価値観が合うって人でも合わないところがあるって、考え直すことができた。

母は、感情の重さがどちらかだけに偏るとうまくいかないと言っていた。それは友達でも、恋人でも。父と母は全く違う性格なのに上手く関係が続いているのは、お互いにお互いが持ってないものを尊敬しているかららしい。

同じ価値観を持ってない方が、上手くいくんですかね。一緒にいられる人って、同じ価値観を持ってる人じゃないの?
ほんとにずっと苦しい。
いつも、同じだねとか、同じこと思ってたとか、同じ考えだったていうことがステータスみたいな関係が続いていてずっと苦しい。でもそれを言ったら嫌われるかもって思っているところもあるからいえない。いつも正直に言おうって言ってくれるけど、正直に言ったら絶対私のことを嫌いになる。
せっかく仲良くなれたのに。こんなに合う人いないって人に出会えたのに。失うのが怖いし、嫌われるのが怖い。関係を続けるためには自分の素で話せないといけないのに。
嘘をついて偽ってボロが出て、結局それでも嫌われそうだ。

何が言いたいのかわからないけれど、今の感情をつらつら書いた。何年後かに見返して、こんなこと考えてたなと思いたい。その時には考えも感情もいい方に、関係もいい方に向かっていることを願います。

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