お遊びみたいな夜

世界の果てに来たような、静かな静かな夜がある。

とても優しい夜がある。

ふと考える。

わたしは随分と何も変わらないままここまで来てしまった。

変わったことはたくさんあるけれど、中身はまるで変わっていないように思う。

大きな劇場の演出席に座っている時、これは夢で、本当のわたしはずっと寝ているんじゃないかと考える。

眠ることがあんなに好きだったじゃないかと。

誰かの壮大なお遊びの中にわたしはいて、わたしがこんなにいろいろなことがやれているのはその誰かが面白がってわたしを夢に道連れにしていて、

わたしはそれに気がつかずずっと作品を作っているのではないかと。

そんな風に思うほどに自分から見た自分はとってもちっぽけだ。

ちっぽけでくだらないわたしが今、生きてこんなにいろいろなことをしていることがなんだかそれ自体が夢の中のような感覚になることがあるのだ。

同時にとても根性のある自分も自分の中に共存している。

毎日どちらかが強く出たり、弱くなったり、を繰り返してわたしは仕事をし、生きている。

ずっと布団で寝ていたいわたしが本物のわたしなのかもしれない。

でも、そんなわたしは布団から出たがる根本宗子をずっとやっている。

不思議なものだ。

本当の自分とはなんなのだろう。

そんなもの死ぬまでわからない。

わからないことがあんなに嫌だったのに、今はわからないことが心地良い。

歳を重ねることというのは、絶望や諦めの感情が増えることだと昔は思っていたけれど、今はとても楽しく心地が良く感じている。

夢ならばずっとこれが覚めませんように。

誰かのお遊びならどうかずっとそのままで。

おばあちゃんになっても、なんてくだらなくちっぽけな存在なんだろう、と自分のことを思えるままの自分を失わないでいたい。

お風呂から上がって、今部屋はランプの明かり一つで、優しい音楽が流れてる。

生活を言葉にするのは楽しいなぁ。

なにもしない1日があったって、いいんだよ。明日やろって気持ちが生きていく道を作ることだってたくさんあるから。

おやすみなさい。また明日ね。みんなの夜も優しく、心地の良い夜でありますように。

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