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世界に一つだけの花になるのは実はかなり難しい

♬そうさー僕ーらは
世界ーにひーとーつだーけーの はーなー

先日槇原敬之さんが保釈された。彼が逮捕されてから久々に彼の曲を聴いて、改めて良さを感じた。私が好きなのは定番の「もう恋なんてしない」や「冬が始まるよ」や「Hungry Spider」(前回薬物で逮捕される直前に発売した曲)だ。

そんなマッキーがSMAPに提供したことで有名な「世界に一つだけの花」。これを以前聞いた時、サビの部分に強く感銘を受けたのを覚えている。「人はもともとオンリーワンでそれぞれに良さがあるんだ、だから自分らしく生きよう」と思った。

しかし最近聴いてみてふと思った。

オンリーワンって実は難しいのではないか、と。

最近は様々な人と簡単に繋がることができるようになり、他人の生活を知ることができるようになった。また、私が大人になったのもあると思う。とにかく、今の私は「自分みたいな人はたくさんいるのではないか」と考えてしまうことが多々ある。自分はオンリーワンだとは思えない。むしろ実はナンバーワン(まではいかなくてもナンバー1000)を目指す方が簡単とすら思えてしまう。

オンリーワンは難しい。まず明確な目標がない。真っ白な紙とクレヨンだけを渡されて、「はい、今から自由に自分を表現してみてください」と言われるようなものだ。

私はそれをなんとか完成させる。自分には才能があるな、とか、こんな構図を思いつくのは私しかいないのではないか、とか一瞬自惚れる。

しかし自分の作品が他の作品と共に展示された時、その天狗の鼻はすぐにへし折られる。自分より遥かに上手い人がたくさん存在する。自分と同じ構図の人が何人もいて、しかも自分よりそれを生かしている。自分はオンリーワンではないしましてはナンバーワンでは決してない。自分は普通の人だったんだと気づく。

このジャンルだからいけないんだ、私はあのジャンルならオンリーワンなんだ、と思って他のジャンルで挑戦するが、それも上のような結果に終わる。

人間性ならオンリーワンだと考える。しかしそれも似たような考えの人はいくらでもいるし、自分の人間性が魅力的だとは思えない。

世界に一つだけの花になるのは簡単そうに見えて実はすごい難しい。

私は「他の誰でもなくて私でなければだめ」と誰かに思ってもらいたいと密かに思っている。色んな人と接する時、この人にはそう思ってもらえるに違いない、と期待する。だが自分は「彼女」「友達」「先輩後輩」などとして見られていて、「私」として見られていることは滅多にないことに気づく。そうすると急に「私」がみんなとおんなじ「何か」に成り下がってしまう。

たった一人のかけがえのない「私」は本当にかけがえのないのだろうか?

これから先、AIが発達して人間はどんどんオンリーワンであることを求められる世の中になるだろう。みんながオンリーワンを求めれば、何もせずにオンリーワンでいられる人は少なくなってしまう。

産業革命以後から一昔前までは「良い教育を受けて良い会社に就職すれば(ナンバーワン的発想)将来が安泰だ」と考えられた。明確な目標があった。その代わりそのレールから外れてしまうと生きていくのが大変だったが。

しかしこれからはその発想では生きていけない。明確な目標のないオンリーワンを目指さなければいけない。レールは敷かれていない。何もない広大な土地に突然放り出される。

私はナンバーワン的発想なのでオンリーワン的発想が難しい。目標が存在する方がやりやすい。

オンリーワンになるためには何をすべきなのだろう?自分磨きの旅などと言ってインドやアフリカに一人で行く人の気持ちが今ならわかる。それをすることでオンリーワンになれるかは別として。

「オンリーワンになるための◯◯カ条」のようなリストを誰か作ってくれないかな、なんて思ってしまう。あ、でもこれでは結局みんなとおんなじになってしまうではないか。

世界に一つだけの花になるハードルは高い。




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