#12.おまえにはわからない

『おまえにはわからないよ』


私が担当していた方の職業は元医者。脊髄小脳変性症という難病で、私が入る頃にはすでに強い手の震えや、座ることが一人ではできないくらいに進行が進んでいた。

トイレに行くにも車椅子への乗り移りで何度も転落。オムツは拒否があったが、何度も失尿。水を飲むにも手が震え、服を汚してしまう。

リハビリなんてものは意味がないことは知っている。俺の病気は進行性なんだ。強いて言うなら早く死なせてくれ。

これがこの方の口癖だった。元医者なだけあり、病気についての知識は私は足元にも及ばない。しかし、進行を遅らせるよう手助けはできるかもしれない。しかし、そんなことは知った上で”意味がない"と言っていたんだろう。
だってこの方は早く死にたかったんだから。

なんとかコミュニケーションを図ろうとしても、『触らなくていい』『お前と話すことはない』
の一点張り。なかなか介入の糸口が見つからず家族に相談するも家族に対しても同じような態度をとるため、家族も困っているとのことだった。ちなみに家族も医者であり、リハビリの必要性は理解されており、今回の依頼も家族からの要望だった。

数週間後、いつものように挨拶をし、血圧を測っていると、
『君は、脊髄小脳変性症の方の気持ちを理解することができるかい?うまく喋れない、一人で車椅子にも移れない、トイレにも行けないんだ。今まで私は医者として、多くの方にリハビリを進める立場の人間だった。しかし、実際に自分がなってみてこんなにもみじめで辛いことなんだと初めて理解した。この辛さはこの病気になっていないおまえにはわからないだろうな』

私は何も言えなかった。精一杯考えを巡らせた。視線だけは外さなかった。何分くらい経過しただろう。結局私は何も言えなかった。上辺だけの言葉で返答することはできたかもしれない。しかし、このとき聞いたこの言葉は簡単に返してはいけない重みがあった。

それからは少しずつ会話やリハビリもできるようになった。相変わらずリハビリは意味がない、俺は死にたいのだからと話すがその顔には笑顔があり、冗談のような響きがあった。

今でもあの言葉の解答はわからない。
でももしかしたら、何も言えなかったあの時間があったから、本気で向き合っていることを伝えられたのかもしれない。何かを感じ取ってもらえたのかもしれない。


どんなに寄り添っても、どんなに考えても相手の本当の思いはわからない。でも寄り添い続けること、考え続けることに意味がないとは思わない。こちらの本当の思いが伝わるのなら。

※この物語はフィクションを含みます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?