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バーチャル時代の信仰の在り方とは? 「神」とは? 「美少女」とは?

バーチャル宗教学研究者Unferth(ウンフェルス)さんと語り合った内容が面白かったので、記事にしました(≧∇≦)/
※Discordでリアルタイムに語っていた内容のコピペなので読みづらいかもしれませんがご容赦ください。

登場人物

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ねむ:人類美少女計画を企むバーチャル美少女。特定の宗教を信仰してはいない。小説「仮想美少女シンギュラリティ」で「脳」「自己認識」「美少女」の関係性について持論を展開している。

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Unferth(ウンフェルス):バーチャル宗教学研究者にして、敬虔な信者。今回、「私の答えはこれや!」と小説を投げつけてきた。

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なもなき:バーチャル美少女。かわいい。

⚡ ⚡ ⚡

「美少女」とは?

「私」について

今日も今日とて不定期の講座を始めることとする。
場所はVR空間。現実世界ではない。
物理現実と言った方がいいかもしれないが……
ともかくあらゆる交通手段を無視して集まれるのは好ましい。

話者は私でテーマは「歴史における性の意識」である。
話題が話題だけに普段の動画配信サービスではなく、
”閉じた”VR空間を借りることにした。

ここに集まり、大教室のような空間に座っている人たち……
彼らは一人ひとり、十分な注意を受けた上でこの空間にいる。
なにせ、私は「講義の一貫として性行為を行う」と明言していたのだから。

(つづく)

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ねむ:
読みました。面白かったです~ 脳と体感覚とアバターの関係に着目してるあたり、私の小説と近しいものを感じます。結論は逆ですけどw

自己認識に重きをおいているところはなもちゃんの感覚に近いですね。

私はもっと俯瞰的な視点というか、社会や関係性や、人にどう認識されるか? に重きをおいているのでその観点ではウンフェルスさんも美少女そのものなんですがw

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Unferth(ウンフェルス)
感想ありがとうございます。
そこら辺はまさしく視点の違いですね。
私の場合は「私は私をどう認識しているか」に尽きますので。
なので「外見的に美少女」なのを、私はあっさり認めます。
それこそ劇中の「黒髪の美少女」が言ったように
外見的、他者からの視点で見ればそうなのだろうとは思います。
ねむさんなら絶対ああいう場にいるだろうと思って書かせていただきましたが、どれだけ当人を再現できているかは怪しいですね。

ねむ:
あ、やっぱり私でしたかw

Unferth(ウンフェルス)
もし描写がずれていると感じられたのなら、
もちろんそれは私の理解力が不足しているのも関係しているでしょう。
ただそれを抜いても「わかりやすい人間」ではないですからね、多くの人は。
特に考えを述べる人は、その人の中に一つの世界を持っています。
これをコピーするのは並大抵のことではありません。

「神」とは?

ねむ:
ラストの罪はなんについてなのかな? とちょっと思いました。ある種の修行ととらえると改めて主に自分を捧げたといえなくもないような

Unferth(ウンフェルス)
VRという場とはいえ(あるいはVRが”現実”であるならなおのこと)、婚姻関係にない性的関係は宗教上は奨励されません。
私は、私の宗教は私のものだと思っているので表には出しませんが、
「不道徳な振る舞い」のすべてを神に帰します。
他人から見ればなもなきさんが語っていた「種付おじさん」のような都合の良い存在、機械仕掛けの神に見えることでしょうね。
しかし「心の内では」色々と思う所もあるのです。
懺悔という儀礼など、今でも宗教はこころの平穏に役立つとは思っています。
それがその人の心の内で処理される出来事ならなおのことですね。
この辺を考えると、また外見と内面がずれますね。
私は外見的には「理性的な宗教学者」ですが、
内面においては「敬虔な信者」なのかもしれませんよ。


ねむ:
なるほど。。

道徳ほど人によってことなる概念はないと思っていて、むかしバックパックしてたときに知り合った人の話を思い出しました。

 あなたは神を信じますか。

 私は神の存在を信じています。
 というより、神の存在の確実さに疑いをさしはさむ余地など微塵もありません。
 
 そう、私は神の存在を確信し、神の存在を感じ、美しく、巧妙で、壮大で、微細で、誰一人まねすることのできない神の仕事の痕跡を目の当たりにしてきました。

 おかしくなったわけではありません。
つまりは神というものの定義の問題です。

(中略)

 自然科学を知れば知るほど、その神の巧妙さに、そして、美しい相似や共通性に感嘆させられることもあり、また、一見複雑に見える現象の裏にシンプルで美しい数式が隠されていたり。

『博士の愛した数式』

という本を読みました。

 この中で、『神の手帳を覗き見る』のような表現が出てきます。そこにある神は私の言う神で、非常に共感を覚えました。
 そんな風に神を認識している私には、宗教に出てくる神は大体どれもいびつで、醜悪な形に見えてきます。

 神は一日5回の礼拝を強要しない。
 神は断食月を押し付けない。
 神は7日で世界を作ることはできない。
 神は意思をパンには変えないし、血をワインには変えない。
 神は女性に黒い衣装を強要しない。
 神は牛を申請と位置づけない。
 神は豚を不浄と位置づけない。
 神は人間を自分に似せた形には作らない。
 神は人間を階級に分け隔てない。
 神は禁酒を強要しない。
 神は戦争を奨励しない、別に平和を奨励するわけでもない。
 神は善悪を分け隔てない。
 神は原因に応じてしかるべき法則によって結果を与えるだけの存在である。

(つづく)

 この人は数学者なんですけど、数学者こそもっとも敬虔に神に仕える存在である、と言ってました。

あんまり関係ないですねw すいません

Unferth(ウンフェルス):
いえ、部分的には視点は重なりますよ。

ねむ:
いろんな価値観にふれると、この人みたいな考えにいたるひともいるし。私も割とちかいとこあるんですけど。

一方でウンフェルスさんみたいに宗教に傾倒するひともいるし、なんでなのかなと思いました。

私は文化・歴史は大好きなんですが、いろんな国回った結果、宗教信じてない日本人が(私の価値観としては)ダントツで道徳的だという結論で、なんだかよく分からなくなってしまったんですよね。

この人に言わせると『神は婚前交渉を禁止しない』となるでしょうしね。それはそれで極論ですが。


Unferth(ウンフェルス):
この人は「制限を加えないことこそ良い神」、
あるいは「人に危害を加えないことが良い宗教」だと考えているようですね。

その理屈なら、聖書学が研究している神はだいたいこの人の言う神のことを指します。
イエスの主張は宗教の解放にある……というのが、聖書学者 田川建三の主張です。
「人が作った戒律に従うのではなく、神に従うべきである。
もし戒律があるとすれば、人のためにある」というのが田川が語るイエス像です。

ねむ:
預言者の本意でないとしか思えない戒律とか、わりとありがちですしね。。

Unferth(ウンフェルス):

あるいはまた、「私の宗教」という物言いがすべてですね。
私は、自分の内面の問題を他人に押し付ける理屈を持っていません。
こういうことを、近代主義とか呼ばれる「新しいキリスト教徒」は
「自分の内に神がある」と言ったりするそうですね。

ねむ:
そういう神の定義のほうが私にはしっくりきますね

そういう意味ではウンフェルスさんは宗教を「選ぶ」というプロセスを経ている、つまり、宗教を俯瞰的に見ている意味ではこの数学者さんに近いかもしれませんね。

Unferth(ウンフェルス):

だから祈りは「しかし誰かがその罪を背負わなければならないのなら、どうか私に背負わせてくださいますように」となります。
どんな理由であれ、他人が重荷が負うのは心地よくないですねぇ。
特に、件の小説は「私が始めた集会」ですので。
責任はすべて私の元に集まるべきです。

婚前交渉云々も「私が不道徳だと感じる」ということと
「十戒が禁じている」ことを都合よく解釈しているに過ぎません。
聖書は2000年前の本ですから、多くの偏見を含んでいることを
聖書学者たちは強く意識しています。
だから、神の言葉を”取捨選択”さえします。

しかしここまでくれば当然「婚前交渉は不道徳だ」というのは、
確定情報ではないですね。単に私が思っているだけです。
だから私の祈りは「予めの祈り」とでも説明しましょうか。
「もし神がいたのなら」
「もし死後に裁きを受けるなら」
「もし、今日の振る舞いが罪に値するなら」
予め謝っておいて損はないでしょう。
もちろん、神はいないかもしれません。
裁きは来ないかもしれません。
婚前交渉は罪に当たらないかもしれません。
しかしそれならそれで、誰も不幸になっていないのだから、
良いことです。

バーチャル時代の「信仰」とは?

ねむ:
はい。婚前交渉が不道徳、というのも当時の価値観として不幸な人を減らすのが目的として預言者が設定したものにすぎなくて、バーチャル時代にはそれが真かは、ちゃんとあらためて検証しないと預言者の真の意図を履き違えると思っています。

Unferth(ウンフェルス):
おや、そこら辺はねむさんは純粋なんですね。
私は降りた道です。
理由は単純ですね。資料がないのです。
確かめる方法は存在しないというのが、今日の聖書学者たちの意見です。
もちろんいくつかほぼ確実な情報はありますが、
それはごく限られたものです。
少ない資料から意図を読み込むのは「解釈」を必要とします。
解釈をすれば、意見がバラバラになるのは想像するのは難しくないでしょう。

ねむ:
私の内なる神は納得を最優先するので、解釈は必然です。別に自分が他の人と違って孤立しても、ぜんぜん気にしませんw

Unferth(ウンフェルス):
ブッダも、イエスも、ソクラテスでさえ、
純粋で嘘偽りのない資料というのは存在しません。
ですから、歴史等々の観点からすると……ほうほう?

今のねむさんの発言だけ切り取ると、
どちらが宗教者なのかわからなくなりますねw

ねむ:
イエスもブッダもムハンマドも、そんなつもりで言っんじゃないとおもうよー? っていつも思ってますw

一方で、彼らはいまのバーチャルの時代を見ていないので、真意を汲み取ったところで現代にマッチした戒律は作れないのかもとも思ってます。

それは私たち自身でつくるしかないのかなと。

さっきの婚前交渉を例にとるなら、バーチャルを介した行為で特定のパートナーいないなら傷つける人も傷つく自分もいないような気もしますし。

Unferth(ウンフェルス):
しかしそれだと一つ気になる点がありますね。

私は他人の目と自分の目を区別します。
それは「客観的に確認不能なことが世の中に多すぎるから」ですね。
他方で、自分で判断することはそうした客観的な事実から
都合の良いように事実を選び取ることです。
この時点で、私が「解釈を通すと意見がバラける」のお話が適用されます。
私の解釈は私の解釈であって、他のものではありません。
だから、私は他の人の解釈を自由に許します。

ねむさんは「人にどう認識されるか? に重きをおいている」と仰っていますね。
その点と「私の内なる神は納得を最優先するので、解釈は必然」
「自分が他の人と違って孤立しても、ぜんぜん気にしませんw」
という文章はどうつながるんでしょう。

ねむ:
私は人間は単体生物というよりは、社会という名の群体とみています。その観点では個の自己認識は大して意味をもたなくて、関係性が大事です。

バーチャル時代では誰とでもつながれるので関係性がより重要になるとみていて、その意味で、戒律というか、新たに幸せを再定義する預言者はもとめられてるかな、という気もしてます。

その為には過去の預言者の真意を理解して、バーチャル時代に合わせて再構成する必要があるとおもっています。

さっきの数学者さんの文書も福音書の、ひとつにしてあげてもいいかもしれないw

と思う一方で、自分の考えがマイノリティなことも理解しているので、それにバーチャル時代の聖書はまだない気もしているので、なもちゃんやウンフェルスさんの話も面白いなーと思って聞いています。

Unferth(ウンフェルス):
ふむふむ、ありがとうございます。
唐突に始める話題でもなかったですね。
思ったより重い話題になりました。
まあ私はいつもそんな感じですが。

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なもなき:
なんかむずかしいはなししてる~

⚡ ⚡ ⚡

参考文献

Unferth(ウンフェルス)さんの考えの根拠:
(以下2つは同じ本です)

アーマンは「資料の解釈むずかしいなぁ」という話しかしていないので、
具体的な説明に乏しいです。
なのでそれを補完する、本当に解釈している本も紹介しておきます。
もっとも、本気で研究された内容ですので、難解なだけでなく長いです。
全部で3000ページぐらいあるんじゃないですかね。

ねむの本(宣伝)

前回の対談





 
 
 

 

 



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