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エレベーター感謝問題

僕の通っている研究室は8階にある。
ということはつまり、登るのにはエレベーターが必要で、エレベーターを使う機会が人よりそこそこ多いと自負している。

エレベーターに乗っているとしばしば直面するのが、エレベーター感謝問題(と僕が勝手に呼んでいる問題)である。

どういう問題か説明しよう。

エレベーターに複数人で乗っている状態を想定していただきたい。エレベーターが目的地まで到着した、開く。その際に必ず起きることはなんだろうか?
そう、誰かが「開」ボタンを押し続けるのだ。
明らかに押さなくとも全員が降りられる。そんな状況にもかかわらず「開」ボタンを押し続ける。そして、「ありがとうございます」と感謝しながらエレベーターを降りるのだ。
何故だろう?おそらくコレは人類が類人猿であった頃からの本能なのだろう。猿は木に登る生き物であるから、猿から進化した我々も登る(或いは降りる)際、遺伝子に刻まれた行動が発露してもおかしくない。
しかし、僕のような狭量ネガティブ人間には以下のように感じられる。

「これ、めっちゃめちゃお手軽に感謝を稼いでね?
開を押し続けるだけで感謝を稼いでいると思われね?」
である。

まとめるとこうである。

エレベーターの開くボタンを押し続ける
→極小動作で感謝されたい、浅ましい奴に思われるのではないか?
→不安
→精神的ダメージ

エレベーターの開くボタンを押さない
→「開」ボタンを押してる人に感謝の言葉を言う
→僕は感謝されたくないのに、他人にはしてしまう自己嫌悪
→精神的ダメージ
or
→「開」ボタンを押してる人に感謝の言葉を言わない
→感謝の心持たぬ冷血人間に思われる
→精神的ダメージ

上記から分かるように、エレベーターに複数人で乗った時点でもう手詰まりなのである。
この問題を解決すべく、僕は次の二つの手段を実験した。

「ボタン前を陣取って「開」ボタンを押さない」
→「開」ボタンはさまざまな所にあるため、不可。(そして冷たい目)

「いの一番にエレベーターを出て行く」
→位置取りにもよる。最上階から最下階まで移動するときは奥に位置取らねばならず、常に使える手段では無い。

両方とも完全な解決とはならなかった。
次に考えついたのは根本的な解決手段である。
そう、階段を使おう。




「階段を使う」
4階で力尽きた

エレベーター、それは人類の叡智。
翼を失った人類を宙に誘う、神に叛逆する装置。
今度から文句言わずに使います……。

※この文章は、4階の階段でぜーぜーと息を切らし、回復を待ちながら執筆されたものです。インドア派の低体力を理解していただければ幸いです。

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