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思い出のホーチミンで幼い頃の思い出語る

幼稚園からの幼馴染みが5年前からホーチミン駐在に。実家もほぼ真向かい。アパートからほぼ出られないロックダウンも経験して、もともとタフガイだったけどさらに超タフガイになっていた。

昔話に腹の底からゲラゲラ笑った。本当に久々だったし、自分の育った笑いの感覚を思い出した。ここ数年、無意識に、立派なことばかり考えようとしていたのかもしれない。それは社会に必要なとだと思うけど、まずは自分が笑えないと。原点を見つめるつもりで来たけど、幼馴染みのお陰でホーチミンを飛び越えて、いや、幸いにひとつなぎに、小中学校の頃まで遡ることができた。

地元の友人というのは大人になるほど人生の道が別れていって、価値観が離れていくのもやむなしと思っていたけど、尊敬の念が自然と湧くような考え方や信念を持っていて、それが幼馴染みということがたまらなくうれしかった。とりあえず、これからもお互いにベトナムでの体験を酒の肴にできることは、一生の財産だと話した。

ホーチミンで彼とほぼ入れ替わりになったことは、惜しい気持ちもあるけれど、昨晩はとても楽しい時間を過ごせたのでそれには意味があったと信じたくなる。それがそのまま、前を向いて頑張ろうと思う活力につながる。

そんな彼はハノイで、小中の頃に自分も含めて通っていた英会話塾の同級生と偶然会ったと聞いてびっくり。自分もこのあとハノイではとこ(初対面)と会うし、本当に、ベトナム(たぶん海外)と日本、近くなっている。

2個分の人生は送れないけど、海外を通して未知の世界に触れ続けることは何があっても諦めたくない。そして同時に、沖永良部島を含め日本の田舎でまだ掘れる過去もまた未知の世界と分かってきた。3次元(距離)で遠いのかと、4次元(時間)で遠いのか、違いはあるけど、同じ楽しみを感じているのかもしれないな。あーやっぱ日本人移民を辿る旅が最適解な気がする。計画を立てよう。

ぜんぶうまい棒につぎこみます