いろいろあった10年② | はじまりは映画
うちは昔から映画家族だった。吹き替えは絶対ない字幕でしかみない家族だった。親や姉たちがみてるのをいつも横で見ていた。記憶に一番古い映画はザ・ロックだった。あの緑の毒かなんかの球が怖くてよ。そこばっかり覚えてる。最近確認してニコラスケイジやったんか~~~~とびっくりしてた。
金沢に最新アニメは来ねえ!という時代で、かぎっ子で夜までうちで基本一人だった私は本を読むかFF7を永遠とプレイするか、ひとりでできるもんを見るかビデオに録画した映画とかを何回も見てた。SWももう見てた。ライトセーバーは電池で動いててEP2のアナキンのライトセーバーは電池が切れたんだと思ってた。ハリーポッターもみてた。おもちゃも買ってもらえずお小遣いもない家族だった一方、母の仕事場が毎年映画300円券くれて、映画にはちょこちょこ連れて行ってもらえてたのは本当にめぐまれてたと思う。この時はまだSWにはまる前で、このころは特に英語が好きとかいうのはあまりない。そんなとき人生が変わる出会いをするのである。
二つの塔公開。
母と姉1が二つの塔を見てきた良かった~と話すのでWOWOWでちょうどしてた旅の仲間を見て、なななななんやこれむっちゃおもしろいやんけ!!!!!!!!!!!ってなった日が二つの塔公開終了日だった。田舎だからね一瞬で終わるわな。残酷すぎる。確か泣いた。小5の時の話。
王の帰還までの間、映画を何度も見た。まじでなんんんんんんんどもみた。パンフは読みつくしてた。本は全部読んだ。図書館に通った。自分の部屋がなく2段ベッドの下の空間のみが自分のプライベートな世界で(手作りカーテンつけてた)そこに縮こまって、借りてきた指輪を毎日読んで、ついに終わった時のあの気持ち。12歳の時に気持ちなんてほとんど覚えてないけど、あのときのあの瞬間の満足感ともの悲しさはずっと忘れないんだろうな。エレッサールと別れるあのもの悲しさ一生忘れない。
次の年に王の帰還が公開された時の喜びはよ~~~~4回見た。自分一人で映画デビューはこのころだった。ついでにいうとお小遣いもないのになんで映画がそんなに見れたかというと、映画300円券が神の恵みでなおかつ映画以外お金を使わなかったから。お小遣いはなくお年玉も毎年最高1万円ほどで、毎年秋にある地域のお祭りに参加して5000円ほどもらう。それで一年を過ごしてた。姉たちには化粧品買えやら服を買えやらファッション誌替えやら言われて無視しつづけ「なんで普通にできないのか」とか言われだしたのはこのころでもある。私には映画のためにお金を使えることが喜びだった。幸せだった。
英語が好きになったのはDVDが出てから。英語字幕と日本語字幕を切り替えまくり、いってることが違うんだなと気づいたその時が人生の大きな変わり目だったんだと思う。セリフをかき出して自分で英和辞典で調べて翻訳していた。英語がわかると映画がよりわかるんだ!!!!!!となってうれしくなった。楽しかった。
中1にはシルマリルに出会った。本が輝いていた。文字でしか見えない世界が目の前で映画となって生きてそして死んでいくのをみているようだった。一つの大きな世界があの中にはあった。より指輪が好きになりあの世界が私のいろんなものの基盤となった。今も続く中二病の基盤でもある。(アメリカに来るとなった時大切な本何冊だけ一緒に連れてきたけどシルマリルはパスポートか?ってぐらい常に持ち歩いていた)
このタイミングで近所のゲオが一本旧作1週間10円オープン記念セールをしてた。なんという最高のタイミング…週に5本は映画を見た。あの頃が人生市場一番映画を見たかもしれない。そして姉1が短期留学に行った。海外留学という存在があるんだと知ったのはこの時だと思う。
一気に省くと指輪の時点でファンアートの存在は知っていてサイト巡りとかもしてたけど、軽く見る程度だったのが、中2の時にヴァンヘルシングに出会い映画のファンアートにどっぷりはまり、ヴァンヘルシングの作品を描くとあるファンサイトでSWのファンアートを見かけた。まさかのそれが私にとってのSWの始まりである。EP3公開4か月前のこと。
いや~~~~~~~~~~もうアナキンがかわいい。愛しい。この感情を今も変わらず持ってることがうれしい。見れば見るほどおまえさんがいとおしいって気持ちになる。私はきっとこの気持ちを抱えたままいつか人生を終える。ともあれ、ファンの人たちと交流するというのもSWが初めてだった。今思えばなかなか案件なんだけど中2で一人で東京に行き(うちの親は金は出さないがまあ危険なことはするなよというスタンスだった)いろんな方と話した。その中には今も仲良くしてくれて、電話ではなしたり、NYで遊んだりする大切なお友達がいる。SWのおかげで出会た。本当にありがたい。それから何度もお金をためては東京に行った。SWオンリーはちんまりしてて楽しくてね…あの星|語りです。パンフまだ持ってます。ア受けオンリーイベントもありました。4月9日だった。行けなかったので覚えてる。まさにゴラムのような妄執ですわ…みなさん、本当にとても良い方々でがきんちょの田舎娘に本当に良くしてくださった。あの方々に支えられ、こんな素敵な大人になりたいなといつも目標だった。皆さん大人だったと当時は思った、でも特に仲良くしてくださった方々は当時は20歳前で、今年29になる今、私は20歳のときにあんな素敵な人たちのようにできただろうかと今になって思う。いや、普通にできてなかったな、ぼろぼろやったしな…
そんなこんなの中3の夏に10日間の韓国での交換留学があった。2万円だった。姉たちと違い、私は習い事もしてなかったので私にせめて学校外の事させようかみたいなことだったと思う。本当に楽しい経験だった。いってよかった。いろんな文化の違いが楽しくて、滞在させてくれた家族はとてもやさしくて穏やかな家族だった。そしてこの滞在の間、私はつたない英語でなぜかみんなの翻訳者になっていた。伝わることがとても嬉しかった。韓国語と日本語を話す子達が英語という橋をかけて理解しあうのが嬉しかった。
それが最初の「海外に勉強に行きたいな~~~~」という瞬間だった。
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