でことらんどが閉店した話
わたしが上京した最大の理由は、
「中野に住みたいから」だった。
愛知県在住だった私は、ピカルの定理というフジテレビのコント番組の大ファンだったことから、東京という土地の中で最初にお台場を好きになった。
次いでファッションに目覚めたことで
渋谷、原宿。
そして何の因果か中野という土地を知った。
ちゃんとしたきっかけは覚えてないが、
恐らくKERAに掲載されてた東京オススメ服屋マップに原宿と一緒に中野・高円寺が載っていたからだと思う。
そこで初めて中野に行き、大きな衝撃を受けた。
愛知にはあるようでないような土地柄だった。
古今混在していて、多くを受け入れてるようで馴染みのモノに癒着している。そんな印象だった。
そんな中野に、17歳の私は恋をした。
そして中野に住む為に中野周辺の大学を受けたがあえなく惨敗し、上京後は世田谷方面に住むことになった。
それでも愛知と比べて、中野にはすぐ行けるようになったので、上京して初めてちゃんと中野に向き合った。
上京前、中野で分かる店はspank!とまんだらけとmmts(当時)ぐらいだった。
だから何となく歩いてる時その店に出会った。
でことらんどに。
まずシュウジくんという謎の人物が店の定番キャラクター(?)であるということ。
ヴィレバンを愛していた当時の私にとってこのカオスさが衝撃で、そして心地良かった。
そして初めてのでことらんどで購入したのは、良いこのこうつうあんぜんTシャツだった。
「よいこのこうつうあんぜん」
これがTシャツになってることが新鮮で驚愕だった。
シュウジといい、あんぜんTシャツといい
デザインに堅苦しいフォーマットなど必要ないと
デザインの可能性に気付かされた。
犬井ヒロシじゃないけど自由だ〜!と。
そして店内の辻加護うちわとモーニング娘。時計にも衝撃を受けた。
高校生から黄金期のハロプロが好きになり始めていたが、過去のカルチャーであるが故に「好きの発散方法」を分からずにいた。
その時、この展示を見て「自分のテリトリーに当時のモノを入れ込む」方法を学んだのだ。
なんとなく現在進行形で活動しているカルチャーしか部屋に入れるべきではないと思い込んでいた私にとって目から鱗だった。
そして部屋を一面平成色に染め、現在に至る。
でことらんどに出会わなければ、
何かをデザインすることを始めなかっただろうし
平成女児のまーちゃろになることもなかっただろう。
失くなって初めて、原点だったことを知った。
ありがとう。シュウジ。
結局シュウジって誰だよ。
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