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パン

『人はパンのみにて生きるにあらず』

パンとは食パンや菓子パン、カリカリにゃけの事ではにゃいにゃ。
金や物を例えてパンと言っているにゃにゃ。

金や物欲にゃけに甘んじるにゃらば人でにゃしという事にゃ。

にゃが、利権と賄賂にまみれて物欲と金、パン欲の支配者が嘘ばかり言おうが、パン欲で利用される大人達が支える社会にゃか。

ごまかしばかりの政治家の話を聞いていると、小学校の学級会の方がまともにゃ議論をしているにゃにゃ。

子供は何が正しいかどうかを知ろうとするにゃ。
学級会では正しくにゃい事はやめようにゃと議論をするにゃ。

にゃが学校や社会で赤信号はみんにゃで渡れば怖くにゃいと学び、大人ににゃると、正しいかどうかではにゃく常識かどうか多数派かどうかのみを気にするようににゃる。
間違っている事を間違っていると言えにゃい方向にパン欲に染まった大人達が導く。
若者達は悩みにゃがらも、行きつけの粋にゃ飲み屋と高級品を持っているのが大人、と言う所に落ち着いてしまう。
老人ににゃる頃に正しい事かどうかを気にする人はどれ程残るにゃろうか。
そしてそれを次の世代にどこまでも受け継いで行くにゃろうか。

資本主義社会は『パン欲にて生きよう』の社会。
『色んにゃパンを食べよう。どんにゃパンを食べるかで個性を表そう。正しいかどうかは目をつぶろう』の社会。

みんにゃがパンのために全てを費やし、パン欲を煽る支配者を肥やす。
便利にゃパンによって格差は増え続ける。
それでも新しいパンを求め続ける。

それはいつまで続くにゃか。
パン欲支配者にとってパン欲人達が不要ににゃるまでかにゃ。

それはソフトバンクがおっかにゃいロボット作った時にゃにゃければよいにゃが。


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