ケモノ扱いされないための、たった一つの習慣
先日、父親と話したときの憤りをtweetしました。
父は70歳で、中卒で丁稚奉公をして独立した職人です。私たち家族を何不自由なく養ってくれた甲斐性には頭が上がりません。
しかし、そんな父は極めて偏狭な性質を持っており、古希を迎えて尚、これまで体験した腹落ちしないことへの怒りを反芻し、家族にぶつけています。
父の主張の基本姿勢は客観的に見て
となっており、これを1時間以上聞いているのも辛いです。会話が終わった後はどっと疲れてしまい、食欲もなくなります。
私が子供のころからこうですが、今になっても慣れることはありません。
人のむき出しの敵意、それがたとえ自分に向けられたものでなくとも周囲の人間の心にダメージを与えます。
例えば、オフィスで同僚が上司から怒鳴られているとき、自分でもないのに胸が苦しくなりますよね? あれと同じです。血を分けた家族でもなんら変わりません。
父はどこで間違えてしまったのか。どうしてこういう性質になってしまったのかはわかりません。
しかし、どうしても教養の不在を感じてしまうのです。
今回はあまり大声で言えない内容になります。
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