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最後の写真

「亡くなったペットの写真を公開って、何か嫌だね。」妹が携帯を片手に言った。「可愛い仕草とかを共有したくなる気持ちなら分かるけど、最後の姿を見てくださいってのは分からないなぁ。」妹の言葉に私も同感だ。「誰もが気軽に写真や動画をとる時代になったからってねぇ。お葬式でも遺体の写真撮る人いるらしいよ。」「えー!」遺族の悲しい気持ちも、非常識な人に台無しにされそうだ。「私だったら死顔を写真に撮られるなんて絶対に嫌だな。」私も妹も、そう思った。

数年後、母が急死した。いや、病気がちだったし入退院を繰り返していたし年齢的に言っても急死と言うのは違うかもしれない。だが、親が亡くなるなんてすごく遠い話だと思っていた私にとっては間違いなく急死だ。殺しても死なない気がしてた。相談したい事もあった。もう充分大人だけれど、まだまだ頼りたかった。…考えると涙が止まらなくなるので、とりあえず葬儀が終わるまで考えない事にした。葬儀ってのは、兎に角決めることが沢山あって、しかも決断を急がされる。誰だったか思い出せない親戚やら知人やらが来ても「ねぇ、お母さん、誰だっけ?」と聞く事も出来ない。お焼香の順番とか花の並び順とか食事の人数とか、悲しむ時間も無い。我が家の色んな雑事も親戚や近所付き合いも全て母が仕切ってくれていたのだ。母に聞かなければ何一つ決められやしない。

慌ただしくも何とか準備がすすみ、母は綺麗な色の着物に着替えて化粧してもらっている。この辺りは娘で良かった。好きな色や花などは息子よりちゃんと理解できてると思う。母はとても美人だった、と叔母が言う。お洒落で他人と同じような格好なんかしなかった、ともう1人の叔母も言う。裏付けるように昔の女優さんみたいな母の写真も見つかった。そんな話を聞いていたのだろう、化粧した母をもう一度見て「もう少し濃い色の口紅にしましょうか?」と聞かれた。塗ってもらうと、母がきちんと化粧した顔を久しぶりに見たなぁと思った。母は綺麗だった。本当に。

綺麗な棺に納められ、白い百合や薔薇や胡蝶蘭に囲まれている母は、澄ました顔で眠っているようにしか見えない。化粧のおかげでもあるが、お見舞いに行った時より顔色もいい。「死んでるなんて思えないくらい綺麗だね。」妹が言った。「プライドだね。」と叔母が言った。確かにプライドの高い女性だった。最後まできちんと綺麗でいる気なのだろう。流石。

明日、告別式が終わったら、もう母の顔は見られない。そう思うと涙が流れた。

ふと、最後の綺麗な母の顔を写真に撮りたい気持ちになった。非常識な人が撮るのかと思っていたが、こんな気持ちだったのかも知れないな。公開するのは理解しがたいけれど、もう顔が見られない事がこんなにも悲しく辛いものか。

もう会えない。でも自分が見返すための写真なら家にある。何より、亡くなった後の顔を思い出の中だけでなく写真に残したりしたら、きっと母は怒るだろう。

母のプライドの為に、棺の写真は撮らない。あと姉のプライドとして涙はとめなくては。まだ葬儀はこれからだ。

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