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noteを使い始めて1年余りが経ちました

 ねこっちです。noteを使い始めたのは、昨年の6月22日でした。

 noteを使って最初のころは、私が今まで「精神解析」で発見してきたことなどを綴っていましたが、noteを使って1年余りがたった今、今までの記事では伝えきれなかったことが多くあることに気づいたので、ここで改めて自己紹介をしたいと思い、この記事を書きました。


ねこっちとは

 私のアカウントでペンネームとして使っている「ねこっち」は、中学1年時に考えた私のニックネームです。

 中学1年の2月ごろでしたでしょうか、当時、電子工作で「コッククロフト・ウォルトン回路」という回路を作っており、その部品を注文した際に届いた箱に、猫のイラストとともに「ねこっち」と何気なく書いたのが「ねこっち」の始まりでした。当時は単なる落書きのつもりでしたが、それが妙に気に入り、以後それを私のニックネームに使った、というわけです。

 ここで、「ねこっち」という名前には何か合理的な理由があるわけではないことに注意しておきます。自由気ままな猫のように生きたいから「ねこっち」なのだ、というような理由はないのです。ただ単に、マジックでその拙い線画とともに書いた「ねこっち」の4文字が気に入っただけです。


発達障害について

 ねこっちのプロフィールの一文に、私は「発達障害を持った東工大生です。」と書いていたかと思います。この「発達障害」についてすこし説明します。

 私は、心を理解するのが非常に困難です。思ったことを言うと、相手が黙ってしまった、という経験は数えきれないほどあります。「この場合人がどう思うか」「これを言うと相手がどういう感情になるか」という想像ができないのです。そのため、この記事でも場違いな言い回しなどをしてしまうことがあるかもしれませんが、その点に関してはご容赦くださると嬉しいです。

 このように私は他者の心が分からないため、私は今まで「友達」をもったことがほとんどありませんでした。特別支援学級のころ、表面的に仲良くしていた程度(挨拶をするなど)の友人はいましたが、お互いの意見を交わせるような友達はもったことがありませんでした。友達とする喧嘩や意見のぶつかり合いは人間関係を学ぶ上で大事だということは様々な場面で聞きますが、私にはイメージできる具体例が一つもないので、それらを想像できません。

 幸い、高校時代に私のことを配慮してくれる友達が一人だけいました。その時の経験が、私の生涯で唯一の友達でした。

 発達障害で苦しむことは今も多いです。しかし、最近思うのは、おそらくその苦しみの大部分は、友情をもったことがないことからくる一種の孤独感なのではないかということです。私は、いまだに心を心として理解することができずにいます。心は非常に繊細なガラス細工のようなものだというイメージしかできません。そのイメージは、確かに心の繊細さを表すことはできているかもしれませんが、やはり本質は「ガラス細工」という「物」でしかないのです。

最近驚いたこと

 最後に、最近驚いたことを書きたいと思います。私は今まで、他者と接するときに、常に自分を押し殺して接していました。自分が何か思ったことがあっても、他者に言えず、自分の心のうちにしまっていました。

 それは恐らく、私がそれをどう他者に言語化して伝えてよいかわからなかったからでしょう。いままで、何かを言うと他者が黙ってしまったことが多かった、と序盤で述べました。そのため、私の意見は常に他者を不快にさせる、と思うようになってしまい、いつしかすべてを押し殺してしまうようになったと考えられます。

 しかし、押し殺してしまう害は大きく、結局それが爆発して母や家族に当たってしまったり、パニックになって暴れてしまったりすることが多かったです。一見パーソナリティ障害のようなこの情動の不安定さは、特に大学入学後、ずっと悩んでいました。

 しかし、最近母にあることを教えてもらい、とても驚きました。それは、「相手と話す時は、まず相手の頭の中にハテナマークをつくること」です。


相手の頭にハテナマークを作る

 今まで私は、自分を殺してまで相手に合わせ、そして限界がきたらいきなり爆発する、という不安定な行動パターンを繰り返してしまっていました。そのような私に母が教えてくれたのが、「相手との議論の土俵に立つ方法」です。その始まりが、「相手の頭にハテナマークを作ること」だと教えてくれました。

 例えば、Aという議題で自分と相手に異なる意見がある時、「Aについてなんだけど・・・」ということで、まず相手に「なんだろう?」というハテナマークを作ります。そして、その後Aについて話すことで、私の思っていることを相手に伝え、相手に「そうか!ねこっちくんはそう思っているんだね。」という「!」を作ります。母は、これが相手と話す時の手順だと教えてくれました。

 私は、非常に強力な道具を手に入れたと思いました。なにしろ、今までの私はこれができずに何人もの人を嫌な思いにさせてきたからです。ようやく、人と話す時の言葉のいろはを分かったように思いました。

 これが、最近の驚いたことです。

最後に

 今回は、noteを使い始めて1年余りがたった今、思うことを気ままに書いていきました。今までの私は、少し背伸びをしていたように思います。まだnoteの使い方がよくわかったわけではありませんが、これからもマイペースで記事を時折更新しようと思います。

 最後までお読みくださりありがとうございました。

                   晴天の暑い日に・ねこっち

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