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はじまりの時(4)【連載小説・キッスで解けない呪いもあって!❄︎ボッチ王子の建国譚】



 駆け出しながら叫んだが、声も手も届きそうにない。この走り方じゃダメだ。もっと速いのは――
 後日、この光景を見ていた人達からは「某クルーズみたいだった」と言われたので、時生は彼を思い出していたのだろう。足の長さは全く違うけど。
 ペンギン達を追い越し、タカフミの片手を掴むと遠心力を使って自分と彼とを入れ替える。
 ――上手く行った!
 そう、そこまでは思いのほか上手く行った。
 後はそのままその場に座り込むだけ!のはずが上手く回り過ぎて、物凄い遠心力とともに、時生は宙に投げ出された。
 その目に飛び込んできたものは――
 紺碧の空一面に揺らめく、緑のオーロラ。舞い上がる雪。飛ばされる眼鏡。眠り姫にキスする王子の挿絵。すべてがゆっくりと流れ、すべての音が止まっている。ふと、時生は思った。音は命の明かしなんだな、と。
 美しすぎて、静かすぎて、その世界はまるで、死んでるみたいだ……。
 
 ――などと哲学的に思っていたはずなのに、時生はその緑のオーロラの帯が、耳をつんざく様なゴウゴウという音を立てて渦巻いている部屋の中にいた。骨董屋の様に、壁を埋め尽くす本や古めかしい物。大きな窓に重厚なカーテン。その前に置かれたどっしりとした書斎机の上には、何本もの鉄の状差しにメモ紙らしきものがびっしりと差してある。
 そう、そこは部屋だった。
 銀の手鏡、大きな砂時計、豪奢ごうしゃな鏡、天球儀、椅子、羽ペンにインク瓶、沢山の古い本や骨董品、そして状差しから飛ばされた無数の紙――それは捲り終わった日めくりだった――。様々な物がオーロラの帯に巻き上げられている。
 その渦の真ん中で、時生はまばゆい光を放つ本を握りしめて立っていた。そしてその本の端を握るもう一組の小さな手。
「オージのキスでねむりの呪いはとけるの?」
 あの声だった。光が眩しいせいでよくは見えないが、小さな女の子が真剣な眼差しで時生を見上げていた。その彼女の足元では、ペンギンの様な黒猫が毛を逆立てて、しきりにオーロラを威嚇している。
 いや、違う。
 ねっとりとしたと目があった瞬間、時生は総毛だった。あれはダメだ。と、身体中の全てが告げている。しかし目の前の少女は毅然とこう言い放った。
「だいじょうぶ。あれは今はなにもできないから」
 きっぱりと、威厳さえ感じさせる落ち着きで。
 光のせいで彼女がよく見えない。時生は聞きたかった。君は誰で、ここはどこで、僕らは何をしてるのか。そしてアレは……。なのに口が開かない。
 ――そうか、これが僕がなくした記憶なんだ! だとしたら5年前のはずだけど……。なにか、なにかもっとわかるもの。そうだ、あの日めくり!
 すると、何だか場面が飛んだ様な感じで、急に女の子がインク瓶に羽ペンをつけつけ、時生に本を開かせ何かを描き込んでいる。
「これはね、おまじないだよ。守り矢まもりや。オージを守ってくれるからね」
 それは一本の真横に書いた矢だった。その時、ようやく自分の声がした。
「僕は……」
 が、ペンギン猫が怒ったように「シャッッ!」と鳴いたので声が止まる。闇の中の何かが大きくうごめいた気がする。女の子は本を閉じると猫にお礼を言った。
「ありがとう。オージ、あれに名前を教えちゃダメ。いい?何か取られそうになったら、この本を相手につきだしてサカイにするんだよ。ジブンを守れるのはジブンなんだから、て、さ……おばあちゃんが言って――」
 そこで唐突に暗闇に包まれたかと思うと、女の子の声だけが脳裏に響く。
「おとなになったら、見つけてね!」
 それに自分が何と答えたのかわからない。
 記憶はここまでだったから――
 
 クレバスに落ちて、時生はすぐに救出されたそうだ。うっすらとした記憶の中、スミス所長が、
「クレバスの幅が狭くて良かった。ブカブカのジャケットが上手く詰まってくれたんだよ」
 と言ったので、時生は、ああ、レディに男のプライドも無駄じゃないって教えなきゃ、などとぼんやり考えた。所長の隣ではタカフミが泣いている。
「ごめん時生! 危ない目にあわせて本当にごめん! 俺、一生かけてもお前を守るから」
 おおげさな奴だな。そんなの無理だからいいのに。
「あと、あの本、クレバスに落ちたみたいなんだ……。あれ、お前の大切なものなんだろ? 絶対、絶対あの本も見つけるから!」
 出来るもんならやってみな。大袈裟なタカフミがおかしくて、時生は急に力が抜けて眠りに落ちていく。
『時生が記憶を失くして帰ってきた日、これをきつく抱きしめて離さなかった。余程大事なものだったんだろう。次の日はこの本の事、思い出しもしなかったけどな。これを持っていなさい。きっとお前を守ってくれる。まあ、わからんけどな』
 父はそう手紙を添えて、テーブルの上にあの半分の本を置いていた。時生が家を出た翌日、色々と取りに帰ると見越しての事だ。
 ――僕には何もかも解らないのに、どうして皆んなにはわかっているんだろう。あの本だって、何で半分になったのか解らないままだ。あの日まで、ちゃんと一冊の本だったのに。
 ああでも。と眠りに抗うように時生は記憶を反芻した。一つだけ解った事があったから。
 ――あの本、『sleeping眠っている report報告書』なんて……変な題名。
  
 一方、そんな時生をよそに世界中は大いに湧き立ち、広場では各国の中継が続いた。中でも一番目立っていたのはあの日本国の女子アナだった。
「今世紀最大のニュースです!なんと先程のペンギン少年がクレバスに落ちそうになったところを、自ら身代わりになったヒーローこそ公国の王子でした!クレバスに落ち、救出される際に王女らしき存在を予見したと口にしたそうです。王女の手掛かりは、何と日めくりカレンダー!予見に出てきたカレンダーは『2010年』のもので、王女は推定七〜八歳。少なくとも2015年現在十三歳くらいのオーロラ姫が、世界のどこかに存在していると思われます!」
 

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