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私とADHDの話

私はADHDだ。
生まれた時から恐らくそうなのだが、解ったのはついこの前だった。
私のnoteを見た人は分かると思うが、私の年齢はそこそこ行っている。
恋愛も結婚もしたことのない年齢だ。

私がADHDの疑いがあると思い検査を受けたきっかけは去年、一昨年の弟の言葉だ。
弟は特殊学級を受け持つ先生をしていた。
そんな弟が私に真剣な話を持ち出したのだ。
「怒らないで聞いてほしい。姉さんは自閉症だと思うんだ」
最初は自閉症の話だった。
私はそれを聞いて腕組みをして考えた。
「なるほど、自閉症、自閉症かあ。そんな気はしてたかも」
意外と私は怒らないで「かもしれない」というものだった。
私が自閉症だと思ったきっかけは好きな物に対しての興味が抜群にすごいことだ。
私は文学、文章、絵、更には歴史、神話、虫の構造といった敷き詰めると面白いものが結構好きだ。
一方で興味のないものは全くと言っていいほど興味が湧かない。
時代劇も興味ないし、仕事の内容にも興味がない。
他人の考えることに興味が無ければ、算数数学にも興味は無い。
好きな物はとことん好きになり苦手な物はとことん苦手だ。
「私はね、どちらかというとADHDだと思っていたんだ」
と、言うのも私は今の職場に入ってからというものの、余りにも物覚えが悪いと感じていたのだ。
とあることが覚えられず、とあるものをすぐ無くす。
なんなら部屋も壊滅的に汚い。一応床に物を置かないようにはしているが。
とにかく、私は壊滅的に酷い。
覚えも悪ければ直ぐミスをして部長とケンカになったこともある。
「お前は本当にやる気があるのか」「戦力ならない」などと言われて心を痛めたばかりの話だ。
その度に「ああ、自分駄目だ」と思う事も多々ある。それで鬱になりかけているというかたぶん鬱になっている。
自己肯定感がものすごく低いのも特徴、なのかもしれない。

とりあえず検査を受けようという話になった。
私は2年前にメンタルクリニックに1年通っていたのが功を成した。
この検査を受けるには最低でもメンタルクリニックに半年通わなければならないらしい。
行くことになったきっかけは余りにも仕事の上司と馬が合わず、顔を合わせる度に怒られていたことだった。
髪の毛がごっそり抜けたり眠れなかったり胃が痛かったりと酷い症状が続いたことを友人に相談したところ、「メンタルクリニックに行け!」と怒られてしまいメンタルクリニックに行った。
先生は真面目な先生で私の事を多分考えてくれたんだと思う。
一度も鬱だとか言わないで真摯に話を聞いてくれた。
そう言う事があったがその上司が勤務先移動になり私は晴れて解放された。
その時は部長とのトラブルもありもう一度行くか、と言ったところだった。
というかそのせいでちょっと行くことを決めていた。
先生のところに1年ぶりに行くことになった私はさてなんと言い訳をするか考えてみたが、とりあえず先生に「ADHDかもしれないから検査を受けたい」と申し出た。
先生は何度も「いいの?」という風に聞いてきたが反対を押しのけ私は深く頷いた。
すると先生は新宿のとあるクリニックを紹介してくれた。
先生の場所では検査が出来ないので、そこで1カ月程かけて検査をすることになる。

新宿のクリニックはとても綺麗だった。
最初の1回目は単にどういう分けかを説明する、いわゆる問診だった。
問診が終わった後紙を渡された。
その紙はマークシートになっており自分が思い当たる場所をマークしていくものだ。
「そう」「多分そう」「わからない」「多分違う」「違う」といったように5段階評価を己でしていく。
その際に機械などの使用は無く、脳波なども見られなかった。
内容はいたって簡単で「忘れ物をしたことがあるか」「部屋の片づけが苦手か」などの内容であり、「そうだよなあ」「これは違うかな」と思いながらマークをしていく。
紙は2種類渡され、もう1つはもっと心理的な物だった。
現在の状況や過去の状況などの内容だ。
いじめはあるか、死にたくなったことはあるか、自傷したことあるか、などというメンタル的な問題がずらりと並ぶ。
実は一度死にたくなって未遂疑惑をしたことがあるが、誰にも咎められずにむなしくなった記憶があるのでそれ以来未遂をしたことは無い。
リストカットもしたことはなかった。
けれど「したくなった」ことは何度もあり「自分が今ここからすべて投げ出して誰にも迷惑かけずに死ぬ方法としては」などと色々考えたものだ。
正直そのくらい私のこころは廃れていたと思う。
その日はマークシートを提出して終了し、2週間後に別のテストを行うことになった。

別のテストというのはいわゆるIQテストであり、様々なパズル、言葉の問題を解かされるものだった。
制限時間内に同じマークを見つけろ、という問題では「出来るだけ早く」と言われたにもかかわらず再確認を行った為、半分も解くことは出来なかった。
けれど同じ形にしろ、というパズルではすべての内容を解き明かした為、そこら辺は得意だと自負出来た。
言葉の説明も行ったが、「かもしれない、それっぽい、こういう感じ」といった抽象的な内容だけで会話していた気もする。
いざとなると喋りながら脳内を整理してしまうのだ。
ともあれこのテストも終わり、2週間後に結果が出るとのことだった。

2週間後の結果には、母も同行した。
自分の子供のADHDなどの興味、対応などが気になるとのことだ。
母曰く、私は子供のころから一定の友達と遊ばなかったり、直ぐに騒いだり物を投げたりとあまりにも狂暴すぎる事件が多発していたらしい。
何となく記憶にあるが友達の件は全く覚えていない。
親に歯向かったり乱暴をしたり、などはしなかったが物井当たったりはした。
悪い時は眼鏡を投げて壊したり、父が飼ってたペットのトカゲを父親に投げ渡したりもした。
相当の悪である。ちなみにトカゲは現在もぴんぴん生きている。

先生が入ってきて、結果が発表された。
ADHD強め、自閉症ありとのことだ。
要するにダブルビンゴを決めてしまった。
特にADHDの評価はかなり高く、酷いものだった。
「離してる時に一方的に話している印象がありました」という言葉が今でも引っかかってしまうくらいには、自分の事が何もわかって無く恥ずかしいと感じてしまったほどだ。
自閉症はそこまで強いものではなかったのだが、それでも自閉症が発生しているとのことだった。
目に対しての記憶力は高く、耳からの記憶力は低い。
そのせいか、目はIQ120だが耳はIQ84で、平均IQは108だ。
この120やら84は私が勝手にIQと言っているだけであるので本来は違うかもしれないが、それぞれのテストに対する評価であり
見た時にそれを形に出来る、というパズルテストは自信があった。
逆に耳で聞いて並び替える、計算をするというのは余りにも難関ではあった気がする。
昔から人の話を聞かないんだから!と怒られてきたがそれは仕方のないことである。
聞かせたかったらメモをくれたほうがよかったということだ。
「アレを持って来てね!」と言われてもすぐに忘れてしまうので忘れ物も多いのも納得だ。
特に昨今は音声案内が理解できない。何を言っているのか分からなくなる。
自閉症の結果としては普通の人より少し高め、といった具合でバリバリの自閉症ではない。
かといっても自閉症は自閉症だ。興味のあるものしか興味がない。
私はその結果を持って元のクリニックの先生の所へと向かった。

先生は結果を見て「手帳を申請しよう」と言ってくれた。
手帳を申請することによってさまざまな制度の緩和、支援を受けることができる。
でも、身体的でもなければ騒ぎ立てる事もないので「いいのかな」と思っていたが、一番低い3級をいただけるらしい。
私はそれに甘んじて受けることにした。
また、この手帳があれば仕事を探す時も障がい者として探すことが可能なわけで、「私はこれが苦手なのだ」というのをあらかじめ知ってもらうというメリットもある。
デメリットがあるとすれば健常者ではない人を雇う、この人は頭がおかしいんだなどと思われるかもしれないことだ。
何はともあれ、私はとりあえず手帳の申請を行うことになり、この話は一度区切りを見せたのだ。

私は幼い頃より誰かの話を聞くことが出来なかったし、興味のあるものしか手にしなかった。
怒られいても「何故怒られているのか」の理解が出来なかったり、勘違いをされてこっぴどく叱られたりもした。
それらが全てADHDのせいだ、などとは言わないし私の性格の場合もある。
けれど、それでも私はこのADHDと永遠に生きていかなければいけない。
確かに健常者ではないけれど、知ってしまえば自分のやり方に指針が出る。
間違えやすいなら誰かに相談したり、メモを取ったり、再確認を目でしたりと、自分が出来る事、目で見て記憶することを優先的にすればいいのだ。

今後どうなるかわからないが、少し楽しみなのだ。
別にADHDになったからって全てが全て消えたりひっくり返ったりすることは無い。
私らしく、私に優しく、私が出来ることをやればいい。
その時に困ったら手を伸ばして助けを求めればいい。

がんばろう、私。未来を明るくするのは自分の手腕だけだ。


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