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あれから1年が経ちました

これは、「忘れないように」と「前編集長夫妻は元気でやっているかな」と思いを馳せている編集Yの記録です。

この記事を書いているのは5月某日。
1年前の今日は、私たちが前代表の訃報を早朝に受けた日でした。
あれからたったの1年しか経っていないことに驚きます。
遺品整理をしながら発行中の新聞を制作し、事務所移転先を決めて引っ越し、葬儀を終え、優しい人たちの手を借りて諸書類の手続きをしているうちに夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎて2023年が終わっていました。

目の前にすべきことがありすぎて、暑かった夏を越えたはずなのに体感的な記憶が一切ありません。視覚的な記憶は断片的にあって、編集をしている別の部屋でSやお手伝いに来てくれた人たち(校正者さん、デザイナーさん、前編集者Mさん、発送のお手伝いをしてくれていた方たち、親族の方たち)がバックナンバーや遺品の整理をしている様子が断片として写真のように頭に残っています。
絶対に忘れてしまうから記録に残さないといけないと第六感が叫び、音声配信データ(雑談猫新聞社vol.1)を収録しておいたことは本当に、自分、ナイスプレーでした。

怒涛の作業中は、亡くなる2日前に美智代と電話で話したことばかりが頭にぐるぐる回っていました。
話したことそのものは他愛もない内容で、
私と話し終わった後、美智代は電話を切り忘れたまま(時々ある)看護師さんと話し始め、そのぶうぶうと不満を述べる口調までもが懐かしく電話を切れずに聞いていました。
美智代は「あなたと話せて良かったわ」と言い、私も「話せて良かったです」と返しましたが、こんなに真実の“話せて良かった”はこれまでにもありません。悲しい雰囲気にならなくて、笑って話した記憶になって良かったです。

私は猫新聞社の歴史の中ではかなり後期に入ったので、
これまで編集に長く関わっていた先輩たちに比べると情報量は少なめです。前編集長夫妻やこうちゃんがまだ若く、ブイブイ(?)言わせていた頃なんかは全然違う社内の雰囲気だったと聞きますし、創刊者の緑郎に会ったこともありません。
いつか会って、色んな話を聞くのを楽しみにしています(怒られそうだけど)。

少し不自由になっていた体を離れた今は、
活動的だった緑郎は思う存分読書や議論を楽しみ、体を動かすことが好きだった美智代はまた水上スキーなどを満喫していてくれたらいいなと思います。

おーい、猫新聞社は相変わらず危ういけど、2人が信じた世界を進んでいますよーー。
(Y)