見出し画像

小林直樹先生の人間の尊厳論とわたし ー最初の縁、二度目の縁

土庫澄子です もうずっと前に80歳を過ぎた憲法学の泰斗小林直樹先生のご著書「法の人間学的考察」(岩波書店)の人名索引のお手伝いをさせていただきました 出版は2003年7月29日、今から17年前のことです

自己紹介の続きと思っていただければ幸いです

■最初の縁

最近この本の人間の尊厳の部分が気になって仕方がありません この本のお手伝いが小林先生との最初の縁だったからです

当時はまるで気づかない縁があとになって意味をもって迫ってくるようです

わたしが出た大学の哲学科は、4年間を通して西洋哲学史を古代から現代まで講義する(1年目古代、2年目中世、3年目近世・近代、4年目現代)プログラムだったので、古今東西の歴史・思想史を駆け抜けて議論を進める小林先生の著書の人名索引作りにちょうどよいと思われたようです

高名な先生との初対面はドキドキでした 優しい物腰と素敵な雰囲気でよろしくといわれ、ほっとするやら嬉しいやらで一気に4分冊くらいの分厚い仮綴じ原稿を読み人名を拾いました 

しばらくして先生とまたお会いし、拾った人名リストをもとに索引の作り方を教わりました 索引作りには先生のこだわりがあって、先生はこのこだわりがあなたにわかるか?とひとつひとつ目の奥を覗くように確認され、そのこだわりがきっと先生なのだと思えて嬉しかったです

最終的にまとめた人名索引にたしか先生は直しを入れることなく、そのまま刊行されたと記憶しています あとがきにひとこと謝辞を書きますよと柔らかくおっしゃって席を立ち去っていかれた後ろ姿が最初のご縁の最後になりました

小林先生ご本人はもちろん刊行後は不肖土庫も本の評判が気になっていました 刊行当初は書評らしい書評が出ることなく、その後しばらくして北欧のウプサラ学派の研究者として知られた法哲学者佐藤節子先生の評釈が出た以外は本格的な書評はあらわれず今日まで来ているようです

小林先生ご自身内心忸怩たるものがあったようで、こんな一文をみつけました

「ジャーナリズムでは読売新聞だけが、やや懇切に紹介してくれた外は、全くの無反応。法学界でも、専門紙への僅かな短い「紹介」だけで、それを除くと少数の知友からも私的な感想や指摘があったにとどまる。」と書いています(小林直樹「「法の人間学」をめぐる若干の問題」(専修大学社会科学年報第44号所収) 

先生の悔しい気持ちが素直に伝わってくるようです

今年2月小林直樹先生が98歳でご逝去されたことを伝える記事には、著書として「法の人間学的考察」をあげるものがありました(日経電子版) 憲法の本をたくさん書かれた先生のあの本が筆頭に来るのかと胸をつかれました

小林直樹先生の大著「法の人間学的考察」との最初の縁はこれくらいにします つぎは二度目の縁の話をします

■二度目の縁

500ページを超える大著、小林直樹先生の「法の人間学的考察」の冒頭には、人間の尊厳の考察が出てきます この考察は、先生曰く「後編の諸問題に入る前に、それらの大前提となる人間じたいの価値を問い直しておく」作業と説明されています 

先生は、人間は自然のなかで特別な位置を占める道徳性ないしは尊厳性と、それとは裏腹に悪知恵を働かせて悪業を重ねる悪魔性ないしは醜悪な非尊厳を持ち合わせ、両者は解き難い矛盾とアポリアに当面しているといいます この矛盾・アポリアから人間の尊厳を問い直し、先生流のポジティブな人間の尊厳論を示しています

先生の大著との二度目の縁はコロナ禍がはじまってから ごくごく最近のことです 

小林先生の仮綴じの原稿で読んだはずの人間の尊厳の部分、2年ほど前にわたしが人間の尊厳について原稿を頼まれ、ずいぶん迷ったあげくに書いてみたときには申し訳なくもすっかり忘れていたのです ひがな一日コロナのニュースが流れ続ける巣ごもり中ふとしたことがきっかけでやっと気づきました 奇遇といいましょうか不思議な縁を感じます

拙稿が載るはずだった本「人間の尊厳と法の役割」(信山社)は2018年12月に刊行されました 諸事情で拙稿の掲載は幻となりました でもこの本のタイトルは小林直樹先生の大著のように”未墾の広大な沃野に鋤を入れよう”とする哲学的で大きなタイトルです

タイトルを付けたのはなにかとお世話になっている東大民法の廣瀬久和先生らしいです どこかでぜひ見てくださいね 

■師匠と師匠

やっと言いたいことにたどりつきました 冒頭に紹介した専修大学の年報に書かれた小林直樹先生の論考「「法の人間学」をめぐる若干の問題」には、スペインはマヨルカ島生まれのわたしの最初の法哲学の師匠、懐かしいホセ・ヨンパルト先生と小林先生がこの大著をめぐって交流されたいきさつが書いてありました

お二人とも故人になられました 互いに敬意をもった素敵な交流にはたしかに精神があり生き生きとしているものです

小林先生の論考では、ヨンパルト先生は小林先生に宛てて、この大著に対する佐藤節子先生の批判への応答の執筆を、ヨンパルト先生の主宰誌に招待する招待状を出されたのだそうです 驚きでした

■ホセ・ヨンパルト先生の思い出ー脱線します

ヨンパルト先生は不肖土庫が人名索引のお手伝いをしていることに気づいてくださったのでしょうか? 気づかれたら四谷にある上智大学の懐かしい研究室で微笑んでいらしたと思います😊

人間の尊厳はヨンパルト先生にとって終生の研究テーマのだったと思います カトリック神父でありながらあたりまえのようにルネサンス思想を素晴らしいと褒めてやまないヨンパルト先生が大好きでした

ヨンパルト先生は小林直樹先生の人間の尊厳論をどんな風にご覧になっていたのでしょうか?おそらく敬意をもちつつも指摘すべきと思われたところは一歩もひかず指摘されたことと思います 

ヨンパルト先生は、厳しいけれども懐の大きな温かな人格の方でした ときに議論されながら思い余って目に涙を浮かべることもありました 懐かしい思い出です 

面白かったのは、先生の研究室をお借りしてとあるフランスの哲学者の論文の話をしていたときのこと 

その哲学者の書かれたことの真意は何だろうと学生同士話していましたら、ご自分の机で仕事をされていたヨンパルト先生が急に「電話してみましょうか?」とおっしゃってその哲学者に電話をかけ、またたく間に会話をされ、わたしたち学生の疑問をその哲学者に伝え、なんとも楽しそうに電話でしばらく話されたのです!

そのフランスの哲学者とヨンパルト先生はおともだちだったらしいです 久しぶりにおしゃべりを楽しんだあとのヨンパルト先生は満足気でした それにしても電話のお相手の対応にもビックリしました 以降、真意をはかりかねたフランスの哲学者がすっかりスキになったのはいうまでもありません  

コロナ禍のなか、わたしは小林直樹先生に再会し、ホセヨンパルト先生に再会しました その昔人名索引のお手伝いをした小林直樹先生の大著との二度目の縁、師匠と師匠の縁、ヨンパルト先生のエピソードをやっと書けました 脱線しつつもよかったです noteさんありがとうございます! 

■思い出がつながるとき

人間の尊厳について思いがけなく考えるきっかけとなった思い出ばかりつらつら書きました だれかが仕組んだわけではないのにバラバラだった思い出があとになってつながるときって不思議です 

自分のいまの人生がのちにだれかの思い出になれたらって思ったりします だれにもわからないことですね 

お読みいただきありがとうございました






読んでくださってありがとうございます いただいたサポートはこれからの書き物のために大切に使わせていただきます☆