英会話と春馬君、そしてラストムービー
2020年7月18日、その知らせを私は英会話に向かう車中で目にした。
驚いた。動揺した。でも、そのまま英会話のレッスンに行き、帰宅してから子細を知った。
その後、英会話の宿題として「最近驚いたニュース」について書いた英文が当初の心情をよく表しているように思う。こんなものを書いたことさえ忘れていたのだけれど、最近、再びそのページを開くことがあり、7/18の数字とともに生々しく思い出された。今、このタイミングで目にしたことに、何か意味があると思い、ここに記したくなった。
About 10 days ago,I heard the news that actor Haruma Miura committed suicide. I was very surprised and shocked at first, Next,I felt a sence of loss as if a familiar person died. Then,from a mental health perspective, I turned to the psychological state that led to his suicide. In the meantime, I saw some works and found out he was a very talented person. Now I feel very regretful that the opportunity to show his talent has been permanently lost.
英文にすると直接的な感じだが、確かにこんな風に思った。そして、このときの感じ方を基に、8月上旬に追悼サイトから、春馬くんへのメッセージを贈った。訃報を聞いた当初に感じたこと(上記の英文のとおり。そして、ここに実は、ほんの瞬間、自分も生きるのを手放してもいいのではないか、と思ったことを書き添えた)。才能豊かで努力家でもある貴方を知り、驚き感動したということ。それを惜しむといこと。一方で、あなたの在り方が私を勇気づけ、私は私のフィールドで頑張ると思ったこと。それゆえに、あなたに会えてよかった、という趣旨のことを書いた。
当時の私は、大河と朝ドラ以外、日本の映画もドラマも作品は見ていなかった。音楽は好きで頻繁にライブにいく一方で、舞台やミュージカルには関心が無かった。だから俳優としての春馬君のことは、殆ど知らなかった。その中で、唯一心をつかまれたのが、「女城主直虎」の直親と「せかほし」の春馬君だ。
直親が井伊谷に戻ってきたときの笑顔に心をつかまれ、直親が出ている回は全て食い入るように見た。なんとなく見ていた「せかほし」では、ある回の短髪の春馬君の目線に、年甲斐もなく、どきりとした。そして、そのことに、ひどく動揺したことを覚えている。
いずれも、年甲斐もなく、と思ったせいか誰にも言わず心に秘めていた思いだ。久しぶりの満ち足りた感覚であった。幸せだったとも。
そこから、彼はどういう人なのか、と追及することが無かったのが、とても悔やまれるが、私にとっては、魅力的な特別な人ではあった。でも、そこまでだった。そんな春馬君に、ほんとうに「出会った」のが、哀しいかな、この別れの知らせだった。なんと残酷なことだろうか。思う人がもう手の届かないところにいる事実。それでも、彼を追いかけ、表現者としての実力、仕事人としての在り方、人間性を知るほどに、その魅力にはまり、今に至る。
春馬君といえば、英語を頑張っていた印象が強いだろう。20歳のころは、「ほったいもいじくるなー」と言っていたのに、数年での上達ぶりには感心する。私も紆余曲折あって、2年前から英会話スクールに通っている。当初は、強い動機と大きな目標があった。1年目のモチベーションはその目標と、雇用保険のコースをきちんと全うし、給付金をもらうことにあった。実際、予習復習も完璧にかなり頑張り、無事に給付金ももらうことができた。
2年目に入り、コロナで通えなくなったり、仕事が繁忙になったりで、勉強のペースがかなり落ちた。そんな中で、モチベーションを維持させてくれるのが、見たこともない、春馬君の英語を学ぶ姿だ。この姿に何度も奮い立った。春馬君みたいに頑張りたい、彼に追いつきたい、という気持ちが、いつも背中を押してくれる。英語を学ぶことは、春馬君を思うことでもあった。今は、自分なりのペースで、続けている。その未来の姿のどこかには、自由に話せるようになって、(彼とはフィールドが違うけれど)、世界に出ていきたいという夢や、夢が叶わなくても、自分の興味関心の赴くままに、異文化と触れ、「世界って広いんだね」ということを感じたいと思っている。そして、それを表現できたら素敵だ。
ここで、話は戻して。
その日から、1年近く経ち昨日の英会話のレッスンの終わりに、先生が、サマーバケーションの予定を聞いてきた。私は映画を見に行く予定だと答えた。すると、その映画は何か、と言われたので、原子力爆弾を素材にした映画だ、と答えた。先生は興味深そうな顔をした。誰が出るのかと問われたので、柳楽優弥さんと有村架純さん、そして三浦春馬さんと答えた。
すると、先生は、驚いた顔をして、少し考えてから「三浦春馬? ラストムービー?」と返した。
「Yes,his Last Movie!」と答えた。
そう、ラストムービーなのだ。ラストという響きには、胸がチクりとした。と同時に、私は少し高揚した。「三浦春馬」という名前を口にし、彼について短い対話をできたことが、とても嬉しかったからだ。私は、春馬君ファンの中に少なからずいらっしゃる方々のように、春馬君を想っていることは、公にしていない。それはなぜか、先に書いたように、年甲斐もなく・・と恥じる思いなのか、いつまでも、しかも芸能人のことを引きずっていることを滑稽に思われることを懸念するからなのか、、明確にはいえないけれど、春馬君を思う気持ちは、ことさらに表明せず、口にする際も、きわめてフラットに話す方が、日常生活、交友関係での平安が担保され、心の安寧にもつながるように感じている。複雑だが、致し方ないとも。
そんな中、先日、広告についてプレゼンする機会があり、「おーいお茶」の写真とエピソードを添えることができた、プレゼンの構成的には必然性があり、扱いもフラットであった。それに対する反応は哀しいくらいなかったけれど、示せたことが嬉しかった。私の中では、ひとつ何かを解禁した気分。
そして、2021年8月6日。春馬君のLast Movieが公開された。映画太陽の子。
時間的に合わなくて映画を見ることはできなかったが、映画館に行ってパンフレットを購入。HMVで衣装を見て、小説版を立ち読みして購入した。登場人物の関係性や、それゆえの心情を少し理解することができた。舞台挨拶のアーカイブを見た。パンフレットの中にも、舞台挨拶でも、かなりたくさん、そして通り一般でない表現で、彼のことが語られていて、胸が熱くなった。天外者やブレイブとは、また違う姿の春馬君を感じた。
架純ちゃんが語った、春馬さんは「想像力を引き出すことが役目」と言っていたこと、柳楽さんの「本当のお別れは忘れてしまうこと、という小学生の作文に心打たれ、戦争の事実を忘れないことが大切」というスピーチが印象に残る。ここで、忘れない、の中に春馬君のことも込められていたんじゃないかな、と思った。忘れられたときが2度目の死というけれど、春馬君がこんなにもありありと思い起されることに救われる。監督も「なぜ、ここに彼がいないのか」と不在を嘆いた。そう言ってくれたことが嬉しかった。
でも、昨日の舞台挨拶については、姿は見えないけど、彼はここにいる、と思えた。そんな思いを醸している、この映画ははいい映画なのだろう、と思った。深い問いを投げかける映画、演技力のある俳優さんが、心を込めたいい映画。そこにある同士のような関係性。そして、春馬君のLast Movie。これを、彼のLast Movieという意味からだけでなく、しっかり見ておきたいと思った。
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