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最もサスティナブルな国(だった)、日本

SDGs(エスディージーズ)と言う言葉を聞いたことはありますか?

「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットの中で世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です。

このサミットでは、2015年から2030年までの長期的な開発の指針として、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。この文書の中核を成す「持続可能な開発目標」をSDGsと呼んでいるのです。

で、サステナブル(Sustainable)、サステナビリティ(Sustainability)とは、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」を意味します。

サステナブル(Sustainable)とは、本来は「維持できる」「耐えうる」「持ちこたえられる」を意味する形容詞です。

これからの社会やビジネスは、持続可能な社会、使い捨てや消費ではなく
リサイクルや環境に配慮した企業やビジネスが推奨されます。

実際に、そういった概念に乗っ取ってビジネスをする企業や個人に、助成金や支援金が集まりやすい。

個人や企業の利益でなく、全体の利益や環境に配慮したビジネスが今後お金を集めやすくなるというわけです。

で、2015年からSDGs(エスディージーズ)が採択されたわけですが、日本においては既に十分サステイナブルな社会が確立されていました。

江戸時代です。

もっと前からそうだったと思いますが。
18世紀の江戸は、100万人を超える大都市でしたが、世界でも類を見ないゴミのない街であったと言われています。

食料も無駄にすることはなく、米糠で糠漬けを作ったり
発酵させることで食品の長期保存を可能にしたり、
壊れた鍋や桶もそれを修繕する専門の職人がいました。

着物は一枚を重ね着をしたり、合わせ方で全く違う着こなしをしていました。
着古したら雑巾になり、ボロボロになった雑巾は燃料になりました。
それを燃やした灰さえも、肥料になりました。
灰を買う人がいたのです。

汲み取り式のおトイレは畑の肥やしになり、人口の多い江戸は肥料の一大産地(?)と言うことで、肥料の入札まで行われていたとか。
大家と店子が排泄物の所有権をめぐって争うこともあったとか。
お金になったんですね。

一方同じ時代のパリでは、汚物は窓から投げ捨てるものだったそうです。
つばの広い貴婦人の帽子は、窓から降ってくる汚物が顔にかからないため、ハイヒールは汚物を直に踏まないために発達したファッションです。

そう考えると、いつでも脱げそうな下駄をカランコロン言わせながら街を颯爽と歩いている江戸っ子の方が、清潔で社会としては成熟していたと言っても過言ではありません。

それがいつから、SDGs(エスディージーズ)に参加する側になってしまったのでしょうか。

私は日本が決して経済に遅れを取っているとは思いません。

むしろ、近代まで他国の干渉を受けず、独自に経済を発展させてきました。
明治時代に欧米諸国が、どれほど日本のパワーに圧倒されたか、その脅威を目の当たりにしたか。それはさまざまな文献が物語っています。

それが第二次世界大戦での敗北により、GHQの干渉を受けた。

そのことで日本人本来のスピリットと言うような崇高な精神が骨抜きにされ、サスティナブルな在り方も時代遅れとされ置き去りにされました。
ものはどんどん使い捨てになり、新しいものを買うことがステイタスになった。

私は布オムツで育ちましたが、気がつけば紙おむつ、粉ミルクの方が当たり前の世の中になっていました。
汚れた布おむつを持ち歩く方が、匂いや衛生的に迷惑だと、都会に出れば出るほど、そういう風潮が強まりました。
都内でオムツを干している家庭は皆無と言っても良いでしょう。

江戸時代に戻れとは言いません。
ですが、今世界経済が混沌としている中で、持続可能でサスティナブルな経済観念があるとしたら、それは資本主義でも社会主義でも、マルクス主義でもないのでは、と個人的に思います。

答えは、日本人が古来から持っていた経済観念にあるような気がしてます。

次回は、どれだけ日本企業がゴイスーなのか、と言うお話をしたいと思います。

ほんじゃ。

ネコパンダ

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