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子どもに大学に行ってほしい理由

友人が高校三年生の息子のことで頭を抱えている。
進学希望なのに、いまだに志望校の目星もつけていないという。三者面談で興味のある学部も言えず、あきれられたらしい。
「一日中スマホ触ってんのに、どこにどんな大学があるかとかオープンキャンパスの日程とかは調べもしない。もちろん勉強もしてない。どうするつもりやろうって毎日イライラよ」

私だったら、「行く気がないなら就職しなさい!」と言うだろうな。
社会に出てから「やっぱり大学に行っておくんだった」と本気で悔やむことがあったら、社会人入試を受ければいい。
ただし、入るまでも入ってからもものすごく大変だけれど。働きながら受験勉強をし、難関を突破したら今度は学費と生活費を稼ぐためのバイトが待っている。周りと同じようにのんびりお気楽な大学生はできないだろう。
でも、しんどい思いをすれば大学に通える幸せを実感し、一生懸命勉強するんじゃないだろうか。

が、「その線はないなあ」と彼女。
努力が苦手な息子がそうまでしてもう一度学びたいと思うわけがない、と。だから、なんとかストレートで進学してほしいのだと言う。
「Fランでもなんでもいい。グータラな子やからこそ大学は出ててほしいねん」
Fラン大学なんか行ったってお金の無駄、と考える親もいるだろう。しかし、なにも持たないわが子にせめて「大卒」の肩書きを、という親心である。
なるほどなあとしみじみしてしまった。


うちにも高校生がいて、初めての進路説明会に行ってきたばかりだ。
娘は看護の道に進むと言っているが、彼女の成績では国公立大学は厳しい。となると私立大学か専門学校であるが、やはり子どもが看護師になった同僚からは専門学校にしたという話を聞くことが多い。
「どっちのルートで取っても同じ免許。だったら、費用対効果で専門一択」
「うちの子は助産師や保健師は考えなかったから、八百万出して大学行く必要はないかなって」
「一生バリバリ働くんならそれだけ出す値打ちもあるけど、出産後はクリニックでパート、とかになるんやったらもったいない」
「『やっぱり向いてないわ』とか言って、三回生とか四回生で辞められたらシャレにならんと思って」

専門学校は三年間で、学費は私立大学の半分以下。で、就職してから大卒となにか差があるかというと、思いつくのは初任給が数千円少ないことくらいだ。
大きな病院では昇進の際に不利になるのかもしれないが、大半の看護師には関係のない話。だから、無理をしてまで大学を選ぶことはないと私も思う。
現場でものを言うのは、学歴ではなく経験知。評価されるのは大卒、専門卒関係なく能力と人望のある人である。

それでも、私は子どもにぜひ大学に行ってほしいと思っている。
私は大学の文系学部を出て、三十代で看護師になろうと思い立って専門学校に入った。大学生と専門学校生、どちらも経験して、彼らに大学生活を送らせてやりたいと強く思う。
あの頃を振り返ると、「人生のごほうびみたいな時間だったなあ」と胸がいっぱいになる。
友だちと朝まで長電話をしたり、彼と徹夜で桃鉄をしたり(私ができるゲームはこれとテトリスくらいだ)、二十四時間営業のうどん屋で深夜にバイトをしたり。そんなだから、一限目の必修はいつも這うようにして行ったっけ。空きゴマにお茶をしたり、出欠をとった後そーっと教室を抜け出したり、試験前に講義ノート屋の行列に並んだり。サークルにゼミに就職活動、卒論執筆。忘れがたい恋もした。
そういうその年頃限定の青春を、私は子どもにもしてほしいのだ。何十年経っても思い出したら胸がきゅっとなったり顔がほころんだりする、そんな経験を。
それには専門学校は忙しすぎる。

ひえーっと叫びたくなるような学費だけれど、「大卒」の肩書きのためじゃなく一生ものの資格とキラキラの日々のためだったら惜しくない。
その四年間はプライスレスだもん。


【あとがき】
専門学校は大学より一年短い分、学生生活はとても忙しいです。朝から夕方まで授業がびっしり、ひとつでも単位を落とすと留年だから学校をさぼるなんてできないし、実習が多い!
でも、すっかり大人になってから学生に戻ったら、毎日が楽しくてしかたがなかった。勉強できることがうれしくて。これまた人生のごほうびみたいな三年間でした。