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「運動ができない」を考える(2)リラックスできない

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「運動ができない」について、素人ながら考えて書いています。
前回は子どもの頃から不器用だったり、体力がないと「うまくない」ことを笑われたり、惨めな思いをし運動が「トラウマ」になってしまってますますやらなくなってしまうという話を書きました。

今度は、「リラックス」できる状態かという話です。たぶん、子どもの頃から、頑張り方は教えてもらうと思うのです。勉強にしろ、運動にしろ、そのほかの何等かな技術にしろ。
でも「休み方」というか「体の整え方」みたいなものを体系立てて習ったりはしません。
最近の学校の様子をそんなに知らないけれど、たぶん、無いのではないかな。

若い頃は、体力が有り余ってるから、そんなことを学ぶ気にはなれないかもしれない。
でも、物事は安定して継続できることが重要で、怪我したり病気になると、本当にいろいろなことがやりにくくなります。
まあ、勢いだけでは、こなせない事に出会わないと、なかなか振り返るのは難しいかもしれませんが、必要なことだと思います。

今の私は、相当、自律神経がおかしくなっているので、じっとしていても、休めません。リラックスに入るスイッチが壊れてしまったんですね。
だから「休む」よりも「整える」という言葉を使ってます。
頭はガンガンするし、冬でも大汗が出て何度も着替え、酷い時には、寝ていて体が布団に当たっている部分が痛いということもありました。
まあ、ここまで酷いことになることは少ないかとは思いますが、「整える」ことは大事だと思います。

呼吸法とか、瞑想とか、体を温めるとか。

痛みがあると、なかなか、緊張を解くことは難しいのですが、模索しています。

まあ、私の状態は、多くの人とは違う状況なので、参考にはならないし、まずい見本(?)かもしれません。

でも、「整え方」とか「リラックス」の仕方を考えるのは、病気にならないことや「何かを続けられる」、今回書いている「運動が続けられる」ということと関係が深く、多くの人に当てはまると思うのです。

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