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スノー・マザー(雪融け 改題 小説形式)

※以前、シナリオ形式で書いていたのと同じ内容ですが
小説の形式で

――― ……父さま、母さまは、なぜ出て行ったの?


 私は娘をおぶって歩いていた。少しぐずるので、ゆすってやりながら、雪の中を歩いた。

 母がいなくなってから七年が過ぎた。私や弟、妹が寝ている間に、母は突然いなくなった。母がいたときは、笑いが絶えない家だったが、母が去ってから、家からは火が消えたようになった。子ども十人を抱えた父は、馬車馬のように働いた。後添え(のちぞえ)をもらうこともせず、ときどき「お雪には本当に申し訳ないことをした」とつぶやいていた。父は母に何をしたのだろうかと思っていた……

 私が子どもの時分、近所の幼馴染みが「お前の母ちゃん、バケモンみたいに綺麗だな」と言ったのを思い出す。確かに。母は、どういうわけか、よその母親のように老けなかった。それに、母が「疲れた」と云っているのを私は聞いた事が無かった。私は、月の触りがあるだけで気持ちが塞ぐ。少しのことで、かっとなることもある。もちろん炊事や洗濯で立ち働けば疲労する。自分に娘ができても、一人の子どもの夜泣きをあやし、眠りが足りなくなるだけで、疲れ苛立つ。母は十人の子育てをしながら、疲労の色も見せずやつれもしなかった。

 母と違って、父は人並みに疲労した。時には体調を崩した。そのような時、父の代わりに母が薪(たきぎ)を拾いに行き、それを売った。それがまた、女の身なのに父よりも、たくさん拾ってくる程だった。また、父がそんなふうに体調を崩して、熱にうなされている時に、母は父の額を手で撫でていた。そうすると、嘘のように父は、呼吸が深くなり落ち着き回復するのだ。

 母が出ていったあとも、時折、父は体調を崩し熱にうなされた。長女である私は、いなくなった母の代わりに山林に薪拾いに行った。もちろん、私は母とは違う。女の身で斧をたくさん振るえるわけでもなく、少し薪を作るだけで、疲れ果ててへたりこんでしまう。そんな時、ふと振り返ると、どういうわけか薪がたくさん束ねて置いてあるのを見つけた。私は目をこすった。奇妙過ぎて、少し寒気がした。

 しかし、何か風が――温かい風のようなものが吹いてきて、ふっと、気持ちが楽になった。私は、積んであった薪を拝んで、それを持って村へ帰った。

 その後も、父が体調を崩した時は、私が代わりに薪を拾いに行った。疲れて休んでいると、たびたび薪が置いてあり、私はやはり、それを拝んで持ち帰り売って家計を回した。

 母が出て行って五年後、父がどっと寝込んだ。今度は、回復の兆しが見えず、父はどんどん弱っていった。

 ある日、私が父の寝顔を覗き込んでいたら、父が目覚め、はっと表情を変えた。

「どうしたの?」

 

「いや、お前の母さまがいるように見間違えたのだ」

 私は思い切って、聞いてみようと思った。

「……父さま、母さまは、なぜ出て行ったの?」

 父が苦しそうな表情をしたので、私は尋ねた事を後悔したが、父は話し始めた。

「わしが、十八の頃だ。薪を拾いに行った折、吹雪にあい小屋に避難した。そして、仲間の茂作(もさく)という人と一緒に小屋で眠った。

 わしは寒さで目を覚ました。小屋の戸が開けられていて、雪が吹き込んでいた。その時、女がいた。白装束の女が、茂作の上に屈んで、息を……白い息を吹きかけていた。

 女は私が目覚めた事に気付き、今度はわしの方に近寄ってきた。

 わしは、体を動かそうとしたが、瞬きすらできなかった。その女は、わしに屈みこんできた。わしは、その女の顔を見た。恐ろしかった……大変恐ろしかったが、白い肌をした美しい人だった。

 

『私は今ひとりの人のように、あなたをしようかと思った。しかし、あなたを気の毒だと思わずにはいられない、――あなたは若いのだから。……あなたは美少年ね、巳之吉(みのきち)さん、もう私はあなたを害しはしません。しかし、もしあなたが今夜見た事を誰かに――あなたの母さんにでも――云ったら、私に分ります、そして私、あなたを殺します。……覚えていらっしゃい、私の云う事を』

 

 そして、女は、出て行った。体が動かせるようになったので、慌てて茂作に触ると茂作は凍りついて死んでいた。その後、わしは気を失うている所を人に助けられて、長い間、患っていた。体が戻った時、木こりの仕事を再び始めた。もちろん、誰にも小屋で起きた事は話さなかった。

 そんな折、わしは、お前たちの母さまに出会った。肌の白いとても美しい人で、わしは一目で惚れてしまった。そして、お前たちが生まれた。

 ある夜、お前の母さまに対して戯れに『お前とそっくりな美しい人に出会った事がある』と言った。母さまは『どんな人だったのか』というので、あの吹雪の日に小屋で起きた出来事を話したのだ。母さまは……お雪は……」

 

 私は話を聞きながら、体は動かさなかったが、心のうちで震えていた。

 

『それは私、私、私でした。……それは雪でした。そしてその時あなたが、その事を一言でも云ったら、私はあなたを殺すと云いました。……そこに眠っている子供等がいなかったら、今すぐあなたを殺すのでした。でも今あなたは子供等を大事に大事になさる方がいい、もし子供等があなたに不平を云うべき理由でもあったら、私はそれ相当にあなたを扱うつもりだから』……

 

……くれぐれも、子どもたちに不自由な思いをさせるなと、お雪に言われたのに。それなのに、わしは体を壊してしまって、お前たちに苦しい思いをさせる……」

 父の呼吸が荒くなったが、それが移ったように、私も喘ぎ大きく呼吸した。父は、その後、人事不省(じんじふせい)になり、亡くなった。

 父が亡くなってから、私は弟、妹を養うために、女ながら木こりを続けた。やはり、男のように力はない。しかし、私が疲れ果てていると、いつの間にか薪がたくさん積んであるのだ。それで何とか、今まで一家は凌いで来た。

 そして去年、木こり仲間の一人と私は祝言を挙げて、娘を授かった。二つわかった事がある。夫は、とても優しいし頼りになる。愛おしいと思う。

 しかし、男というものは、なんと単純なのだろうか。なぜ父は女心がわからず、あまりに愚かな約束破りをしたのか。それが、わからなかった。しかし、夫と一緒になって、少しだけわかったような気がした。

 そして、もう一つ……

 私は雪の中を歩いた。

 ここは、私が不思議な薪を初めて授かった場所だ。私は娘の背負紐(しょいひも)を解きながら娘の顔を見る。娘がけらけら笑う。

 背負った娘を前に抱きかかえると、私はそこの一帯に話しかけ娘を見せた。

「母さま……初孫ですよ……」

 

 ※

 

雪の台詞は 小泉八雲 著 田部隆次訳 「雪女」より引用

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