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耳鳴り

 私は全身の疼痛やら、思考能力の低下、感覚過敏で、生きる希望を失っていた。
 いろんなリハビリをして、座ってられない立ってられない、寝ていられない(布団と接している面が体重で痛いなどという異常な痛み)。
 聴覚過敏もあって、会話にも支障を来たしていた。 聴覚過敏の方は、以前書いたが、なんとか、ラジオで克服して、

その様子は以前、「包囲の穴を探して」で書いた。

 それによって、ラジオ愛好家とのたくさんの人間関係ができたり、リハビリを兼ねて、音声配信や朗読や声の劇の分野に進出した。音声配信や声の劇の分野でも、たくさん知人・友人ができた。
 耳鳴りも、奇妙な疼痛が出てきていた時からずっと、続いてはいた。ほんのささいな音でも、つんざくように聞こえていた。それでも、ラジオでリハビリして、なんとかなり、朗読や音声配信の分野に、進出して、全然経験も薄いしでも楽しくて、少しずつ、人と何かをやっていけるようになったことは、とても、楽しい体験だった。
 認知能力や注意力が、大幅に落ちていて、人間関係の維持、そして、何よりも大事な、人と共同で役割分担をし意見を調整しながら、何かをするということが、認知力や集中力の低下で、困難になっていたから、それが、曲がりなりにもできるようになったのは、本当に嬉しかったし、生きていてよかったと思った。病気の辛さを忘れられる時間だった。
 痛みと疲労と姿勢の維持、長時間の作業や運動、コミュニケーション、そういものが非常に困難になっていたから。
 今までも、耳鳴りが酷くてラジオが聞けないくらいの時があった。しかし、休んでいれば、治った。あと、耳鳴りに注意を向け過ぎると、耳鳴りはボリュームアップしてしまうことがあるので、あまり注意を向け過ぎないようにしていた。
 ちょっと、今回は、耳鳴りに違和感を感じた、聴力の低下があるという。
 詳しい検査は、これから受ける予定だ。
 気をつけているつもりだったのだが……
 音声配信や声の劇は、大幅に少なくする必要が出て来るだろう。
 今は、ショックで興奮状態だから、それほどでもないが、じりじりと、精神的にやられてきそうな気配だ。
 父が亡くなったときも、疼痛が酷い難病になったときも、何とかなると最初は思っていたが、ただ、ショックで興奮し、辛さが受け止められなかっただけで、何も感じていないわけではなかった。
 あとから、とても酷い精神的な落ち込みを体験した。
 取り越し苦労なのかもしれない。疲労で、一時的なものであったらいいなと思う。でも、しんどい。
 感情をきちんと感じるのが、下手なので、こうやって、自分の気持ちを整理するために、書いている。
 明るい話ではない。もし読んでくださった方がいたら、本当に、ありがとう。

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