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猫のたかは考えた「毒親」について

今日、まめ子から新しい言葉を聞いた。それは毒親という言葉だ。僕はその言葉を聞いた時、びっくりした。毒という言葉は、最初に、きのこの毒のことを思った。次にふぐの毒のことを思った。そして、最後に、食べたら死んでしまうことを思った。

毒親というのは、食べたら死んでしまう親なんだと思った。毒入りきのこ。毒入りふぐ。毒入り親だ。きっと食べたら死んでしまうんだと思う。

すごく危険人物だ。要注意しなきゃいけない。そんな存在が毒親だ。

まめ子に「どうして、毒親だと思うのか」と聞いた。そしたらまめ子は小さな声で、「今自分は、生きづらさを感じているから」と言った。

「どんな生きづらさを感じているの?」と聞いた。そしたら、まめ子はちょっとイラッとした顔をした。

そしたら今度は大きな声で、「もうすでに知ってるでしょ?たかは考えた!って、いつも考えてるじゃない。私の生きづらさについて。」と言われた。続けて、「どうせ、このことについても、考えるんでしょう!」と言った。ちょっと声が大きかったので、僕はびっくりしてしまった。そして、まめ子は部屋に行ってしまった。

一人になったので、いつものように、僕は考え始めた。毒親という意味について。そして、まめ子が言った生きづらさという言葉の意味について。

考え始めようと思った時に、僕は、昨日まめ子が言っていた、「たかはストレスがなくていいね 」の言葉を思い出した。

まめ子は日々ストレスを感じている。それは両手両足を自由に伸ばすことができず、何だか窮屈な感覚、プレッシャー、圧力だとまめ子は言った。

そしてまめ子は、僕にはストレスがないと思っている。なぜなら僕は、いつも昼寝をして両手両足を伸ばしているからだ。自由気ままという風に思っているらしい。そのことを、僕は昨日話した。

まめ子の言う生きづらさというものは、多分、まめ子が日々感じている窮屈な感覚のことかな、と思った。

まめ子の親が毒親かどうか、本当のところわからない。けれど、僕が思うのは、まめ子が今感じている窮屈な感覚の原因探しを、まめ子はしたいんだと思う。どうして自分はこんな窮屈な感覚を抱きやすくなってしまったのか。そしてまめ子は親に注目した。

親は毒親だったから、毒親に育てられたので、私の体に毒が盛られてしまったという風に考えたんだ。きっと。

なるほど、その考えは筋が通っていると思う。だって毒きのこの子供は、やっぱり毒きのこだ。毒ふぐの子供はやっぱり毒ふぐ。毒親の子供は毒子になる。

でも僕はそこでもう 1 つ思った。

まめ子は自分のことを、毒子と思うことによって、どう感じるんだろうかということだ。

僕は、猫のたかだ。

僕は自分のことを毒猫と思ったことがないし、自分の親の事を毒猫と思ったことも一度もない。

でも、もし僕の親が毒猫だったら、自分は毒猫の子供になるから、僕も毒猫になってしまう。そうすると、僕はゾッとする。多分、昼寝する時間も短くなってしまうような気がする。なぜなら、両手両足を伸ばしちゃいけないような感覚になってしまうからだ。

だって毒猫なんだから。なんだかこの世に存在しちゃいけないかのような、そんな気持ちになってしまう。

まめ子が自分のことを毒子と思うのは、確かにまめ子の自由だ。けれど、僕が思うのは、まめ子は自分のことを毒子と思えば思うほど、さらに窮屈な思いを感じてしまうんじゃないのかなという風に思った。

まめ子の親が毒親かどうかは分からないし、もしかしたら本当にそうかもしれない。でも、まめ子自身が毒子と思うことのメリットは、一体どこにあるんだろうと僕は思う。

僕はまめ子が好きだ。

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