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「一夜明けたら叶う恋」(5)

(これまでのあらすじ)
バレンタイン販売イベント最終日。企画部の「僕」はSNS発信担当として初めて会場入りすることに。朝の打ち合わせで営業部の宮内と対面し、彼のソムリエ姿に思わず見惚れる僕。彼への想いがますます募ってしまう。

(1話)



オープンと同時にイベント会場は人であふれた。バレンタインデー当日の土曜日、客も販売員もすさまじい熱気だ。人波に押されて自社のブースに近づけず、僕はスマホカメラを構えることもできなかった。SNSに出まわる宮内の笑顔を片っ端からシェアする。宣伝効果は十分だった。

休憩で宮内が姿を消すと、見事に客足が減った。その隙をついてブースに入り、中の様子を撮影した。去年のお株を奪われた瀬尾は、心なしか寂しそうだった。
「テレビにまで出るんだもんなあ、宮内さん」
「瀬尾にはちょっと渋すぎたな、その衣装」と渡辺主任が慰めた。
僕は心の中で瀬尾に詫びた。青いストライプのエプロンにしていたら、きっと瀬尾のほうが注目されていたに違いない。僕は意識して瀬尾の写真を多めにアップした。せめてもの罪滅ぼしだ。

記録的な売上を樹立してイベントは終わった。ブースの片付けを終えて裏にまわったとき、すっかり忘れていた光景が僕の目に飛びこんできた。同じハンガーに2枚重なったコート。僕は何も考えないようにして自分のコートを外した。すぐに着るのがためらわれる。手に持ったまま皆と通用口まで歩いた。施設を出たところで寒風にあおられ、我慢できずにコートを羽織った。いつもと違う香りが一瞬鼻をかすめたのは、僕の気のせいだ。

早く帰ろうと心がはやる。渡辺主任が皆で飲みに行こうと言い出した。近くに行きつけの居酒屋があるという。駅に向かう交差点で、行けない人が輪から離れた。僕の足もそのあとを追ったが、三歩進んだところで児島から引き止められた。
「近藤は参加できるだろ。家に帰っても一人なんだし」
実は「彼女」がこちらに来ている、という咄嗟の逃げ口上が頭に浮かんだ。それを行使できなかったのは、宮内と目が合ってしまったからだ。口ごもっている間に赤提灯が近づいてきた。

掘りごたつ式のテーブルが一つだけ空いていた。左手の奥に渡辺主任が座り、その横を児島が占めた。残るは三人。テーブルは四人がけ。詰めれば座布団が三枚並ぶ。主任に窮屈な思いはさせられない。いちばん若手の瀬尾が、通路側で注文を通すと言った。僕が奥、宮内が真ん中に腰を下ろし、五人で乾杯した。

のこのこついてきたことを、僕は激しく後悔した。なにをやっているんだまったく。あろうことか宮内の隣で飲むなんて。しかもこの距離は。
「なんかそっちキツそうだな。宮内がでかいからか。俺変わろうか?」
願ってもない提案にすがる思いで児島を見たが、後輩の宮内が遠慮した。
「大丈夫ですよ。ね、近藤さん」
突然顔を向けられて僕は慌てた。思わずジョッキに手が伸びたが、飲み干すのはぐっとこらえる。

全然大丈夫じゃなかった。宮内と違って遠慮を知らない瀬尾は、細いとはいえ丈のある体を与えられたスペースいっぱいに広げている。宮内の体は自然と僕のほうへはみ出す。接触を避けるために、僕はさっきから右半身を壁にべったり貼りつけていた。
膝が触れているのだ、何度も。そのたび電気ショックを受けたように大急ぎで離すのだが、酔いとともに弛緩を始めた宮内の膝がどんどんこちらへ寄ってくるのを、僕にはどうすることもできない。

「近藤、今日全然飲んでねーな」と児島が言った。
向こうの端から瀬尾がこちらを覗き込む。
「ほんとだ。それまだ一杯めですよね?」
僕のジョッキには生ビールが半分ほども残っていた。ほかの四人はもう二杯めを空けるところだ。

ちょうどいい。体調があまりよくないことにして帰ろう。僕が身を乗り出したと同時に、瀬尾が突然妙なことを言い出した。
「近藤さん、やっぱり彼女さんと別れたんじゃないですか?なんか最近様子がおかしい」
「だよな!」と児嶋も便乗した。
「俺も同じこと思ってた。やけにぼんやりしてるかと思ったら急にテンパるし。なんだよ近藤、別れたのか?」

僕は言葉に詰まった。様子がおかしい要因は、いまくっつきそうな膝を僕のほうへ向けている、隣の男にすべてある。
「そうなんですか?近藤さん」
宮内にまでそう訊かれ、僕はがっくりとうなだれた。

いっそもう、そういうことにしておこうか。五年越しの婚約者と別れたとなれば、多少の挙動不審には目をつぶってもらえそうだ。しばらくそっとしておいてもくれるだろう。そもそも酔った勢いで僕がでっちあげた幻の恋人だ。

僕は意を決して顔を上げた。

「そうだよ。別れました。実はかなり落ち込んでいて、お酒を飲む気分じゃない。これで失礼します」
一気にそう言うと、テーブルに千円札を一枚置いて席を立った。皆が呆気に取られた表情で僕を見上げている。

壁に吊ってあったコートをつかみ取り、鞄を抱えて宮内の背中をまたいだ。瀬尾の肩に膝をぶつける。靴を履いて大将の前を突っ切ると、店の引き戸を勢いよく開けた。その途端、氷のように冷たい風が僕の頬に吹きつけた。


(つづく)

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。