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「一夜明けたら叶う恋」(6)

(これまでのあらすじ)
バレンタイン販売イベント最終日の夜、社員五人で飲みに行った「僕」。想いを寄せる宮内の隣で固くなっていると、最近様子がおかしいのは彼女と別れたせいだと勘繰られる。勢いでそれを認めた僕は、皆を残して居酒屋を飛び出してしまった。

(1話)



宮内を避けながら、それでも僕はまだ彼に淡い期待を抱いていたのかもしれない。イベント会場のブース裏で僕のコートを重ねてくれた、彼のあのやさしさが再び自分へ向けられるのを。

「ピンキー」のカウンターに突っ伏したまま動かない僕に、ママが何度めかの声をかけた。
「ねえ尚ちゃん。落ち込んでるのはわかったからさ、そろそろ顔上げてくんない?」
「……」
「湿っぽいの嫌なのよ。泣くなら家で泣いてちょうだい」

のっそり上げた僕の顔を、ママが同情に満ちた目で見返した。今日もピンクのサテンシャツが、みっちりしたボディラインを強調している。整えられた細い眉、もみあげの下に輝くピアス。十年見慣れたこの光景にほっと心が休まるなんて、僕はつくづくこちら側の人間なんだといまさらながら痛感する。

今日の昼、カツ丼屋で宮内と交わした会話が、僕の頭に繰り返し流れていた。宮内が僕に示してくれたやさしさは、僕が望んだものではなかった。
女友だちを紹介すると言うのだ。宮内が僕に。

企画部へ立ち寄った彼に、声をかけたのは僕だった。ずっと気になっていた約束をいよいよ果たす気になっていた。飲み過ぎた夜、出してもらったタクシー代の埋め合わせにカツ丼を奢ると言ってあった。そのままにはしておけない。
僕の誘いを宮内は笑顔で受け入れてくれた。ほっとする僕に彼がポケットから何かを取り出した。
「お釣りです。こないだの居酒屋。ビール一杯五百円」
手のひらへ置かれた五百円玉のぬくもりに、信じられないほど感動した。昼まで自席にいる間、何度時刻を確認しただろう。

正午を知らせる音楽が館内に流れたとき、僕は一階で宮内を待っていた。そわそわと落ち着かないのは緊張していたからだ。エレベーターの扉から出てきた瀬尾が、僕に気づかず出口へ向かうのが見えた。なぜだかわからない。急に助けを求めたくなって、僕は彼を呼び止めようとした。

不意に腕を引かれた。驚いて振り向くと宮内が立っていた。
「瀬尾はいまから得意先です。行きましょう」
宮内が手を離し、僕の背後について歩いた。
彼のこの態度の意味を、僕はこのあと思い知ることになる。二人になりたかったのだ、彼は。女友だちの話をするために。

「大学の同期なんですよ。サークルが一緒で。妻もそこにいて当時はみんなでよくつるんでました。離婚のときに娘のことでちょっと揉めて……沙織が仲立ちしてくれたんです。あ、紺野沙織といいます、彼女の名前」

カツ丼を待っている間、宮内はいつになく饒舌だった。僕は彼の口元を黙ってぼんやり眺めていた。

「近藤さん、彼女と別れたばかりだし……差し出がましいのはよくわかってるんですけど、よかったら会ってみませんか?別につきあうとかそういうんじゃなくて、友だちの一人として紹介したいんです。沙織はさっぱりした性格で、きっと近藤さんとも気が合うと思います」

やっと運ばれてきたカツ丼を、もそもそと僕は食べた。宮内が披露する学生時代のエピソードや、沙織さんの人となりに頷き微笑みながら。
食べ終える前に僕は、彼女に会うことを承諾していた。宮内を落胆させたくない。その一心で。

すっかり氷の溶けたグラスが下げられ、ママが新しい水割りを僕の前に置いた。
「ばかねえ、会ってどうすんのよ。結婚でもするつもり?」
僕は力なく笑い、水割りを口に含んだ。いつものウィスキーがやけに苦く感じる。
はあとママがため息をついた。

「あのねえ尚ちゃん。アンタかわいいからその彼に迫ってみたら〜なんてこないだふざけて言ったけどね」
「うん」
「やっぱりノンケはアタシたちと住む世界が違うのよ。これはもうしょうがないじゃない」
「そうだね」
「尚ちゃんだって十分わかってるでしょ」

わかっている。いままで何度も経験したことだ。距離が縮まるほどやさしくされて、それは僕の望まない形で、好きになるほど辛いのは自分。いくら耐えてもこの想いが叶うことはない。決して。

「女の子を紹介したいなんてさ、尚ちゃんを元気づけようと思って言ってくれてるわけでしょ?アタシだって同じことやるわよ。いくらでもいい男斡旋してあげる。だからねえ、顔上げなさいって。その水割りアタシが奢るから、ね?ほら、おつまみも食べて食べて」

取り出したタッパーから大量のバタピーを流し入れた丼鉢を、ママが僕の目の前へドンと置いた。
「こんな食えないって」
「アタシも食べるのよ」
大きな手でざっくりつかみ取ると、それをいっぺんに口の中へ放り込んだ。
「なんは、ひょっほ、しへってるかひら」
「なに言ってんのかぜんぜんわかんない」

笑おうとしたのにうまく笑えなかった。レモンサワーで喉を潤すママの顔がかすんで見える。追い払おうとすればするほど、宮内の顔が目に浮かんだ。
「泣いたら承知しないわよ」
ママの声より一瞬早く、涙が一滴こぼれて落ちた。


(つづく)



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