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君もすなる短歌といふものを

岡山のオフ会で何度も一緒に呑んでいる武田ひかくんが、短歌にハマっていると聞いたのはたしか去年のいまごろだったか。柿ピーをつまみながら「ふうん」と聞き流していたけど、彼の短歌愛はどうやら本物だったと最近知った。

先月から彼が開催している「#まいつき短歌祭」。

テーマに沿ったものと自由なもの、二つの短歌を毎月募集している。ひかくんとゲストの選による、第一回結果発表が先日行われた。選ばれた作品はオリジナル短歌集に掲載されるそうで、その活動費などにあてるため有料記事になっている。

さっそく買って読んでみたら、思った以上に本格的な内容で驚いた。受賞作品の紹介に続く選評がとにかく大ボリュームなのだ。短歌を読んで私が感じたことの10倍広く深い解釈を、ひかくんとゲスト(大森静佳さん)がそれぞれ書いている。短歌そのものも私には到底思い及ばない言葉の工夫に満ちていて圧倒されたけど、そこに描かれている世界を余すところなく掬い上げる二人の手腕には感服した。

短歌は季語もいらないし、気軽に詠めて楽しそうなイメージはある。短い詩のようなもの。ただ字数が決まっているから、選ぶ言葉や並べ方によってずいぶん印象に差が出そうな気もする。57577という定型にただ従って詠むだけだと平坦でつまらないだろうし、かと言って深みを出すためにどう工夫すればいいのかもよくわからない。


ひかくんのこの記事の中に、彼の短歌が三首ある。

そのうちの一首。

車にもあるのだろうか風を切りほこらしくなるあの感情が


・・・なんぞこれ・・・!

めっちゃええやん。青春やん。駆け抜けるユニフォームの少年が頭の中に浮かぶやん。いまは大人になった彼が、颯爽と走り去る車を目にし、かつて風を切る少年だった自分を振り返ってちょっぴりせつなくなってる感じ。
(ひかくん、ぜんぜん違ったらごめん)

どうやってね、こういう短歌を思いつくの?

らりるれろって感じの風を巻きつけてたしかにぼくは歩いています

これに至ってはもう、諸手を挙げて降参。どういう思考回路?なにがきっかけでこんな楽しそうな言葉が舞い降りてくるワケ?


ひかくんは「ときどき短歌」というマガジンを作っていて、短歌の基本的なあれこれをわかりやすく解説してくれている。

そもそも短歌とはなんぞやという話から始まり、味わい方や「一字空け」といった技法の紹介などがある。たとえば「一字空け」の解説。間にスペースを作って区切るのが「短歌を読みやすくするため」というのはわかる。さらに加えられているのが「風景や感情が移動するとき」。・・・んんん?

ひかくんが自作を例に出す。

生活は言葉ではない散文詩 生けられている青の歯ぶらし/武田ひか

「散文詩」と「生けられている」の間のスペース。

文字のデザインの関係、つまり漢字が続く読みにくさの解消を図るために置いた空間です。

それに加えて、上句は「観念」を詠っているのに対して、下句では「風景」を詠みこんでいるので、スペースを置くのが妥当だと考え、間隔を置きました。

上句は観念、下句は風景。

そもそもね、歯ぶらしが生けられるってなに?生活は散文詩なの?いろいろ高度すぎてわかんない。上句の「生」活と下句の「生」けられているの二つの「生」にはきっと意味があるんだろうし、歯ぶらしの「ブラシ」をひらがなにしているのもなにかの効果をねらっているんだろうと思うけど、私にはうまく説明できない。この短歌は私の言葉の解釈能力をはるかに超えている。


とまあ、短歌の奥深さにかなり頭をガツンとやられたので、私はまず「読む力」を身につけねばならんと一歩退いた。ひかくんやほかの詠み手の作品を、誰かの選評とともに味わうことに徹しよう。自分で詠むにも、笑えるほどなにも頭に浮かんでこないし。

ところがどういうわけか。今朝急に、まったく突然、短歌を詠みたくなった。

ひかくんの短歌祭にはりきって応募できるほどの技も味わいもないので、このnoteの最後にひっそり置いておく。ひかくん、どれかもし目につくものがあったら、ひとつ添削してもらえるとありがたい。次のオフ会のときにでも。うまい焼酎奢るわ。


もんもんともんもんとただ会いたいと唱え続けて雨の朝なり

腹這いで漫画読んでる君のその小山みたいなおしりがなんとも

我を見るあの人の目の奥にある「欲」という字に陥落しそう

いま割ったカップですべてなくなった 君の思い出捨て爪を噛む

七月に鳴く鶯の浅ましさ 好きだと言ったことはわすれて

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