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LGBTと私

きのう「ビューティフル・レインボー」というマガジンを作りました。

作った経緯はこちらに書きましたが、今日はもっとズバッと踏み込んで、私自身のジェンダーに関する話をしようと思います。

文章につらつら書くより、この漫画を読んでいただいたほうが早いかもしれません。

主人公のユウは、私の分身です。
「女」であることを求められ、自分にできる範囲で女らしくふるまうものの、やはりしっくりこずに最後は「私自身」であることを選ぶ話。

「私は男でも女でもありません」という邦題のついたドキュメンタリー映像があります。("Not a Boy,Not a Girl")
前から気になっており、ゆうべアマゾンプライムで視聴しました。

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10代から20代の、女として生まれてきた人たちが主人公です。女の子として育てられる過程で自分の体に違和感を覚えた4人が、日々どのように過ごしているのかを追った作品。

男性ホルモンの投与で薄いヒゲが生えていたり、切除手術を受けて胸が平らな人もいます。しかしそれで「男」になりたいのかと訊かれるとそうではなく、性別そのものを選びたくないと言う。映画の中でその人たちは「ノンバイナリー」と呼ばれています。

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「私に性別は関係ない」

「私は私」

映像の中でこの4人は、少年っぽくもあり、少女っぽくもあります。基本的に女らしくふるまうことを嫌ってはいるようですが、かと言ってことさら雄々しい態度を取るわけでもない。女のように見える部分があることを4人は受け入れており、「自分の気分も日によって変わる」と話します。

この考えは私にとても近いと、映像を見て感じました。4人のセリフに何度も頷き共感した。もしかしたら私自身、ノンバイナリーなのかもしれないと思いました。

子どものころの思い出話を少し。

小学生の卒業文集に作文を書きました。内容はすっかり忘れたけど、文末を「◯◯するぞ!」という言葉で締めくくったことだけははっきりと覚えています。なぜならそれを読んだ私の母が「女の子がこんな乱暴な言葉を使うなんて」と嘆いたからです。

卒業式で着るために、母は私に新しいワンピースを買ってあげると言いました。そのころ女の子の間では、フリルのついた大きな襟のブラウスに、赤やピンクのワンピースを重ねるのが流行っていました。子ども服売り場で、母も私にそういう服を勧めたけれど、私は絶対に着たくなかった。やっと一着見つけた、小さな丸い襟のついた若草色のワンピースを選ぶと母は、せっかくの晴れ舞台なのにそんな地味な服を着るのかと残念がりました。

母に悪気はありません。近所のスーパーへ出かけるのにも化粧を欠かさない母は、「女とはこういうふるまいをするものだ」という考えが身についていたのだろうし、娘にもそうあってほしいと望むのはごく自然なことです。ただ私がその望み通りに成長しなかっただけ。

中学生のときはボーイズ服を買いに行くこともありました。弟の服を着たりもした。「男装」して出かけた先で小さな女の子が落としたおもちゃを拾ってあげたとき、その子の母親が女の子に向かって「ほら、お兄ちゃんにありがとうは?」と言ったときの喜びはいまも忘れません。

男の子になりたいという夢を、はっきりと抱いていました。生理を憎み、胸がこれ以上大きくならないことを願っていました。少年体型に憧れ、太ることを厭っていました。清水玲子さんの漫画の中に、性別を持たないアンドロイドが出てくる話があります。見た目は少年です。このアンドロイドに本気で成り代わりたかった。

男性と恋愛をする歳になって、私は女らしくふるまうようになりました。好きな人から求められるまま、髪を伸ばして化粧をし、ハイヒールを履きました。そういう自分を嫌だとは思わなかった。いわば女装を楽しんでいるような気分です。揃えた足を斜めに傾け、澄ました顔つきで電車のシートに座る自分を、別の私が常に冷静に観察していました。「やってるな」という感じで。

私はバツイチで、いまの夫とは入籍していません。人前で彼を「夫」と呼ぶのも、自分を「(内縁の)妻」だと言うのも便宜上のことで、そう定義しておくと楽だから使っています。夫婦という概念は私にはないけれど彼のことは大切に思っており、身近に助け合える存在としてこの関係を育んでいます。

子どもはたまたまできなかったのですが、不妊治療をしようとは夢にも思いませんでした。5年前に筋腫と一緒に子宮を取り、生理が来なくなって万々歳。自分の体の中に子宮がないと思ったら、なんともせいせいします。

ですからやはり、私は女としての自分を受容できていなかったし、いまも折り合いはついていないのだと思います。胸だって邪魔に感じるけど、まあ小さいからよかった。ぺたんこならいいのになあと、薄着の季節は特に思います。

くどいようですが、そうかと言って男になりたいわけじゃないんですよ。だったら中性かと訊かれると、その言葉もしっくりこない。基本は女で、でも女っぽくふるまいたくないんです。少年っぽくありたい。なので服装はボーイズ寄りになります。家で履いているジーンズはメンズもので、髪を最近中学生以来のショートにしたら、めちゃくちゃしっくり。気に入っています。

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小さいサイズで載せますが、去年11月の私です。50歳でもがんばって少年体型に近づけるようお腹をへこませています。フライバーグの後遺症でヒール靴が履けなくなったので、堂々と毎日ナイキのスニーカーを愛用しています。(いま気づいたんだけど、私が漫画で自分の胸をぺたんこに描くのは、そうありたいという願望の表れかもしれない)

そんなわけで、私はLGBTの当事者であるとも言える、というか、当事者なのでしょう。ノンバイナリーなのでしょう。たぶん。「私は私」という考えが基本にあり、自分や誰かを何かにカテゴライズするのは好まないので、ここでも曖昧にしておきます。


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LGBTのシンボルである「レインボー・フラッグ」を、新しいマガジンのカバーに描きました。6色が有名だけど、もとは8色だったそうです。

白字の"BEAUTIFUL like a RAINBOW"は、シンディー・ローパーの大ヒット曲"トゥルー・カラーズ"の歌詞の中から取りました。

You with the sad eyes
Don’t be discouraged
Oh I realize
It’s hard to take courage
In a world full of people
You can lose sight of it all
And the darkness inside you
Can make you feel so small

But I see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that’s why I love you
So don’t be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow

「悲しい目をして落胆しているあなたの本当の色(個性)が輝いているのが私には見える。怖れないで。隠さないで。本当のあなたの姿は虹のように美しい」

「トゥルー・カラーズ」は元々ビリー・スタインバーグが彼自身の母親について書いた曲だった。(中略)
その歌詞の内容からゲイの人たちの人権運動のテーマ曲として使用されるようになった。
<Wikipediaより>

大好きな歌です。

いつ聴いても泣ける。

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最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。