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LGBTが梅干しになるその日まで
というわけであらためて、前回の記事にあたたかい眼差しを向けてくださったみなさん、本当にありがとうございます。
物心ついたころからLGBTのことが気になっていました。当時は「おなべ」とか「ニューハーフ」とかそんな言葉しかなかったけど、とにかくおすぎとピーコが好きだったり、宝塚歌劇団の男役だった大地真央さんの生写真を持ち歩いたりしてました。自分でも男の子の格好をしたり、僕という一人称を使っていたこともあります。
2年前のこんな記事を見つけました。
なんか書いたなあという記憶はあって、探して読んでみたらけっこう強い口調で、「自分の中の女と男」について述べていた。女という枠からはみ出しているという自覚は以前からあったようです。あったけど、自分はいわゆる「ストレート」でマジョリティに属していると長年思っていたんですね、なぜか。
ストレートなのになぜLGBTがこんなに気になるのが不思議でした。ゲイの友人が身近にいたこともあり、表立った活動はしなかったけれど、彼らにはずっと心を寄せていました。
最近「ALLY(アライ)」という言葉を水野うたさんからおしえてもらったんですけど、みなさんはご存知ですか?
ALLYとは、ストレートの立場でLGBTに共感し、支援する立場の人のことを言うそうです。
アライのはじまりは、1988年に米国の高校でストレート(異性愛者)の生徒によって作られた、「ゲイ・ストレート・アライアンス(GST)」というクラブ(サークル)だと言われている。LGBTの人々を支援し、同姓愛に対する嫌悪や偏見を解消を促す彼らの活動、ストレートアライアンス(Straight Alliance)が広がり、それを支持する人がアライと呼ばれるようになった。
<上記サイト「IDEAS FOR GOODより>
いまから30年以上も前にスタートしていたんですね。しかも高校生が作ったサークルが運動の始まりだなんてシビれるなあ。
私は長い間LGBTの当事者を、いわばガラス越しに眺め、プラカードを持って応援している気持ちでいました。いくら味方だからと言って、ズケズケ踏み入るような迷惑行為は避けたい。意識的にある程度の距離を置いて接してきたようなところがあります。
ところがどっこい、私もれっきとした当事者だったわけですよ。長らく眺め続けてきたガラスの向こう側が、実は私の居場所だったんですよ。私は性的マイノリティだったんです。なんちゅうこっちゃ。
男物の服が好きで、胸なんか邪魔だと思ってる時点で、はよ気づけよと自分をツッコミたくなりますが、わからなかったんですねえ。
(私はこれまで家族を含め、身近な人から「おまえは変わってる」と散々言われてきましたが、受け答えはいつも「そう?」でした。言われても自分がどう変わっているのかわからなかったから、「普通」への寄せ方も知らなかった。いまも理解できていませんが、そういう鈍さが大いに手伝って、自分がセクマイであることへの自覚がこんなに遅くなったんだと思われます)
晴れてガラスをとっぱらったことだし、ここはひとつLGBTの勉強をあらためてやり直そうと、あれこれサイトをめぐってみました。LGBTにはほかに「LGBTQ」や「LGBTQ+」、「LGBTs」などの表現もあり、さまざまなセクシャリティに対応した言葉が追加され、細分化されています。
異性の服装を好む私は、次のどちらかが関係しそうです。
「ノンバイナリー(Xジェンダー)」
ノンバイナリージェンダー(nonbinary gender)とは、自分の性認識が男女という性別のどちらにもはっきりと当てはまらないという考えを指す。いわゆる「第三の性」と呼ばれるジェンダークィアや、Xジェンダー、ジェンダー・オーサム(Gender awesome)と同じ意味だ。たとえば「女に生まれたけど自分は男と女どちらの時もある」など、性別を固定しない立場をとる人々はノンバイナリーとされる。
<下記サイト「IDEAS FOR GOOD」より>
「トランスベスタイト(クロスドレッサー)」
トランスベスタイト(クロスドレッサー)とは、一般的に性自認(こころの性)と身体的性(からだの)が一致しているが、女装/男装など、異性装をする方を表します。
少し難しく言うと、振る舞い(服装、メイクの有無や髪型、口調)に関して社会から求められる「女らしさ」や「男らしさ」への抵抗感を覚えるセクシュアリティです。
<下記サイト「JobRainbow」より>
説明文を隅々まで読んでみたけど、自分でもどっちかわからん。
あるいはさらに違うセクシャリティが混ざっているかもしれず、自分はこれだと断定はできませんでした。そしてそんな位置づけはどーでもいいと思っている私。
たとえば猫にはいろんな種類がありますけども、三毛やペルシャ、雑種か純血種か、短毛なのか長毛なのか、猫にとっては品種やカテゴリーなんて何でもいいわけで、人間からどう呼ばれようが知ったこっちゃありません。美味しいフードをくれればそれで満足だろうと思います。同じように私も、ざっくりLGBT+αの中に入っているとわかればそれで十分です。
ずいぶん歳月がかかってしまったけど、自分がセクマイであると知ることができたのは、この分野との関わりを今後より一層深めていく上でとても有意義な出来事でした。差別や偏見は、ただそれに関する知識が不足しているという理由から生まれるものだと思っています。より広く認知してもらえるために、私も「ビューティフル・レインボー」マガジンを仲間と充実させていきます。
水野うたさんの記事。(マガジンの共同運営を快諾してくれました。感謝!)
女性であることを認め、女性として生きるほうが、抗うよりもずっと生きやすい。そして、私はそこに「耐え難い違和感」を持っていないので、女性で構わないし、医療・統計的な観点から性別が必要である場面では、それを咀嚼したうえで「女性」と記入する。
でも、選択できるのであれば、私は自らを「女性」とラベリングしたくない。「女性」とラベリングされるのも、好まない。
クリオネさんの記事。(「スナック・クリオネ」で朝まで話を聞きたい)
もし性の多様性が認識されて、理解されて、特別視されずもっと普通にとらえられる世の中になったら?
カミングアウトはいりませんね。いったいどれだけの人から悩みがなくなるでしょう?
私の頭の上に天使の輪っかのようにTとLの一文字が付きまとうこともなくなります。
クリオネさんのおっしゃる通り、LGBTなんていう言葉で個人の性的指向が区別されない世の中ならどんなにいいかと思います。
レインボーマガジンの内容が「梅干しはすっぱい」ぐらいありきたりになる日が早く来るといいな。
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。