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【連作短編シリーズ】スーパースター 第二話

 第一話

 お父さんが運転する車の助手席で、昨日の夜のことを思い出す。アスファルトにはまぶしい光が差していて、黄色くまっすぐにのびたひまわりが交差点に待つ人のように立っていた。雲はもくもくもくとどんどん大きくて、わたしが小さな頃好きだった映画によく出てきそうな青空だった。びゅんびゅんとその光景から、昨日の夕方のリビングにわたしの頭の中の風景は変わっていく。

「わたしは奴隷だっていうの!」
 お母さんがお父さんに浴びせる涙ながらの訴え。お母さんはひしとわたしを抱きしめると、
「ねえ、茉莉江、何か言ってよ、お母さんは、お母さんは一体なんだったの? あなたにとって。お父さんにとって」
……そんなこと、聞かれても……。
「お、お母さんは、お母さんだよ」
 とっさに出た、一言だった。わたしにとってお母さんはわたしのすべてで、お母さんがいないとわたしは服も選べないし、お母さんのご飯で生きているし、お母さんが走らせる車で図書館に行って本を借りているのだから、偉大なお母さんはお母さんでしかないのだ。
「……は、ははは」
 唐突にお父さんが笑う。手にはおじいちゃんの好きなスコッチウィスキーの瓶と、ショートケーキが握られていた。そう、ショートケーキ。わたしはこれをお母さんとお父さんと食べたくって、こんな深夜に起こされて階下に来たのだ。
「お母さんはお母さんでしかないよなあ! 茉莉江、よくぞ言った」
 そう言ってお父さんはお母さんとわたしにショートケーキをぶつけた。お父さんもフラストレーションがたまっていたし、酔っていた。わたしの黒くて長い髪にショートケーキのクリームがべったりとついて、テレビには小さな音源でモノクロの「レ・ミゼラブル」の映画が流れていた。そこだけしん、と静かで、なんだかスローモーションみたいだった。気持ち悪い。気持ち悪い、この家。わたしはそう思うしかなかった。そう思う理由しか、この家にはないような気がした。でも、もっとうまいお母さんへの言い方があったのかもしれない。料理のプロ、とか、洗濯もの干し名人、とか……でも、ぜんぶ違うような気がした。お母さんはお母さん、それでもひとりの女のひとなのかもしれなくて、わたしはよくわからなかった。そのことを思い知るまでに、わたしはもっともっと時間をかけるべきだと思うし、保留にしておいていい問題なんてたくさんある。そのことを知っているくらい、物語の中の彼ら彼女たちには学ばせられてきたのだ。お母さんは、泣きながらわたしに感情をぶつけ、お父さんのバリカンでわたしの頭を丸坊主にした。わたしはもう、どうでもよかった。いつかこのお母さんの病気を治して、いつか元の黒い長い髪を取り戻す。そのことしか考えていなかった。

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