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【短編小説】マニフィカート

 十四歳の時から、ミサはくまを飼っています。そのくまを見つけたのは、ちょうど凍てつく冬の、クリスマスの朝のことでした。美しい砂浜でした。そこに、ぽつん、とダンボールの箱に入って、赤ちゃんのくまはすうすうと寝息を立てて捨てられていたのです。

「ねえ、ひとりって、怖い?」

 ミサは赤ちゃんぐまに聞きました。くまは少し笑って、

「風は、いつも思いのままに吹いているよ。きみの隣で、風は吹いているよ。その風は、きっと誰かのもとへ届くんじゃないかな」

 と言いました。ミサはどうしてもくまと一緒にいたくて、くまを自分の家で飼うことにしました。

 くまとミサは、いつも一緒でした。くまはみんなに見えないようです。そのことを不思議に思う前に、ミサは自分の子どものように、くまを可愛がったのです。ミサが誕生日を迎えると、くまはバースデイ・ケーキを買ってきました。どうやら、ケーキ屋にはくまが見えるようです。くまも、大人になったのです。

 しかし、おかしなことが起こりました。ミサの十九歳の誕生日から、ミサは一日も、明日へ進めなくなってしまったのです。身長は、一ミリも変わらず、体重も、そのまま。日付も、ミサの誕生日が過ぎた夜から変わりません。そう、ずっと夜が続くのです。

 朝が、来なくなってしまったのです。

 どうしてだろう、とミサは考え込みました。このままでは、ミサはどうすることもできません。ミサは、少しずつ、自分の誕生日が来てしまったのが悪いのだ、と考えるようになりました。

 一方、くまはどんどん成長していきました。いつのまにか、くまはミサの身長を超え、ミサの二倍ほど、食べるようになりました。くまとミサは、いつも一緒でした。ミサは、悲しくなる時、いつもくまを抱きしめました。くまも何も言わずに抱きかえしました。嬉しい時も、ミサはくまを抱きしめていたので、そのせいでしょうか、ミサはその気持ちを取り戻したかったのかもしれません。

 くまとミサは、いつも一緒でした。

「ねえ、ひとりって、怖い?」

 ミサは大人になったくまに訊きました。くまは笑って、

「わたしがいるよ」

 と言って、またミサをぎゅうっと抱きしめました。ミサは、それで満足なのです。

「お誕生日おめでとう! ミサ!」

「今度ご飯でも食べに行こう、ミサ、HBD!」

 ラインからは、毎日そういった類のメッセージが飛ばされてきます。スタンプは、バースデイ・ケーキのろうそくを吹き消す女の子や、ケーキを持ったパンダ。何回同じラインが来ても、ミサの誕生日は終わりません。

 朝が、来ないのです。

 大学の友だちに会いたい。ミサは、切実にそう思いました。しかし、朝が来ないので、ミサは学校に行くことすら許されなかったのです。

「わたしが生まれた日は、呪われた日だわ」

 ミサは忌々しそうにつぶやきました。くまは、そんなミサを、かなしそうに見ていました。

「なんで! どうして朝が来ないの!」

 ミサは泣きじゃくりながら、くまを抱きしめます。くまはミサの頭をなでながら、一緒に泣いてくれました。

「うるる、うおおん、うおおん、うおおん」

 そして、くまは言ったのです。

「ミサが生まれた日は、風が吹いていたんだ。わたしの、大好きな海風が。わたしは、ミサといると海を感じる。海は広いんだよ。広くて、深いんだ……誰も見ていないようなところでも、海は燃えているんだ。夏みたいにね。だから、孤独なんて海へ行けば吹き飛ばされてしまう」

 くまはもう一度、ミサの髪をなでました。

「ミサ、海へ行こう」

 泣きじゃくるミサの腕を引っ張って、くまはドアを開けました。暗い、暗い夜。電灯すら、機能していません。あるのは星空ばかり。ミサは北斗七星を見上げました。星が涙でにじんで、うるんでいます。くまみたいだ、とミサは思いました。いつでも近くにいるけど、どこか遠い、遠い、自分とは違うもの。

 ざばあん、ざばあん、ざばあん。

 波の音が、ずっと遠くから聞こえます。海が、近づいているのです。月が、綺麗に出ていました。くまは、こう言ったのです。

「ミサ、ごらん。月があんなにきれいだよ」

 ミサは、少し憤慨しました。わたしは太陽が見たい。

「夜は、きらい」

 ミサは両手で顔を覆いました。くまは少し困ったように笑って、

「わたしもだよ」

 と言いました。

「ミサ、海が近づいているよ」

♪マーニフィカート、マーニフィカート、マーニフィカート・アニマ・メーア 

 突然、くまは歌い出しました。その綺麗な音に、ミサは一緒に歌いたくなりました。

「なに、その歌」
 ミサは聞きました。くまは少し驚いて、

「ミサなら知ってると思ってた! 昔、ミサに会う前、聞いたことがあった歌だよ。でも、ミサなら知ってると思ってた」 

♪マーニフィカート、マーニフィカート、マーニフィカート・アニマ・メーア
 何語なのか、ミサには分かりませんが、確かにミサも、昔聞いたことがあったような気がしてきました。二人は一緒に歌います。

♪マーニフィカート、マーニフィカート、マーニフィカート・アニマ・メーア

 ざばあん、ざばあん、ざばあん。

 海が近づいてきました。まだまだ夜は明けません。二人はお腹が空いてきました。くまはパンとぶどうジュースを取り出し、ミサに渡します。用意周到だなあ。ミサはそう思いました。

「ミサの生まれた日に祝福を」

 二人は一緒にパンを食べ、ぶどうジュースを飲みました。おなかがいっぱいになって、また海へと出発です。

♪マーニフィカート、マーニフィカート、マーニフィカート・アニマ・メー 

 二人の歌も、元気づいてきました。
「ミサ! 見てごらん、海だよ!」

 月の光に照らされた海が、なぜだか煌々と光っているように思えます。 
  そうだ

 ミサは、何かに気がついた気がしました。「気がしました」なので、本当に気づいているのか、ミサにも分かりません。
「主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ」

 ミサは海を見ながら、なぜか歌って、涙していました。その涙が何なのか、ミサにも分かりませんでした。くまはそっと、ミサを抱きしめました。悲しい時、嬉しい時、ずっとずっと、今までそうしてきたように。ミサはそれに構わず、続きを歌っていました。

「わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す」

 ざばあん、ざばあん、ざばあん。

 海は月光の中、燃えています。その懐かしさに、またミサは泣きたくなってしまいました。
 ぽたり。
 ミサの肩に、何かが落ちました。涙です。くまの涙です。
 何かがわかったようで、なんにもわからないんだわ。

 ミサはそう思いました。ミサとくまは、ずっと抱き合ったままでした。

 月光が、二人を照らしています。ざばあん、ざばあん、ざばあん。北斗七星は、二人をそっと、照らしていました。

2015年に書いたショートショートストーリーになります。あの頃は何か「書く」ということに憧れを持ちつつ、でもそれが発表できないということにいら立ちを感じていました。そこで、児童文学のようなかたちで、当時わたしが思っていた「愛することへの憧れ」や「はてしない孤独」、そして10年間通っていたキリスト教系の学校への感謝のかたちとして、この小説を発表します。

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