見出し画像

【詩人の読書記録日記】栞の代わりに 3月6日~3月12日

はじめに

こんにちは。長尾早苗です。
今週も読書ライフは続くのだ。今週末は朗読会のお誘いがありました。
わたしの仕事もがんばっていきます!

3月6日

近くの図書館から本屋さんへの道。好きな文房具屋さんがあるので、
桜のシールを買ってきました。
ほんの少しのぜいたくだけど、心がこんなに潤うなんて。
帰って手帳をカスタマイズし、心に桜が咲きました。新作1編。

2月に引き続き、パンダ。
さあ、今週から桜咲く。
4月、春爛漫。

・瀬戸内寂聴『場所』新潮社

私、という中に作家が見出していくものは、決して内省的なものばかりではありません。
そこにはいくつもの訪れた「場所」があり、ルーツとなった「人々」があり、
他者と関わりながら、他の場所と関わりながら生きてきた時間や歴史があります。
わたし自身、自分の詩を書いていく時に「自分」というものを見つめていく際に、はっきり今30歳を目の前にして思うのは、
その「場所」に関わりながら暮らしてきた、いわば川の流れのようなものがあるからです。
わたしは暮らしや生活を水の流れだと思いますし、
それが澄んでいて様々に行きかう。
そんな生活や暮らしを送るうえで創作をするということを念頭に置いていました。
寂聴先生も、そういうふうに振り返るときに「場所」を選ばれたのだと思うと勇気が出ます。

・岡真史『ぼくは12歳』ちくま文庫

とてもよい詩を書いていた詩人さんだなと思います。
以前茨木のり子さんが集めた詩のアンソロジーで、岡君のことが忘れられなくて読みました。
彼が12歳で自ら命を絶ってしまった理由。
彼自身にもっと書き続けられる理由があったなら。
子どもたちはいずれ、何かに絶望してしまうかもしれません。
その苦しみの中を詩にしていくことは、詩人の残酷な使命でもあり、仕事でもあります。
残酷な仕事の中で、それでも彼には胸を張って
「ぼくは詩人だ、詩を書いているんだ」
と言ってほしかったなと思います。
長いこと生きるのも、悪くないよ。
年を重ねることは、悪くないよ。

・高浜虚子『芭蕉』中公文庫

俳人が語る俳聖。
芭蕉の句について考えてみたかったのは、先日のスペースラジオ「礫の楽音」でカニエ・ナハさんが言及していたからでした。
定型の音数で、自然を主体にして詠むこと。
それはいわゆる今の社会問題にも繋がっていくのではないかと言われていたのがすごく印象的でした。
確かに、芭蕉の句には「余白」があります。
それを虚子はどう読んだかが気になって読んでいました。
やはり、世紀を超えて遠望する読み方になっていて、あえて自分の生きた時代に近づけることを虚子はしていないのだけれども、
入門編として、そして子規亡きあととして書かれたとわかるとなんとなく頷ける気がします。
書けることは作者にとって自分の創作の道を明らかにするものではありませんが、書けることは書けることとして世に残っていくので、何がどう自分に影響を与えたかは非常に重要なことになってきます。

・斎藤茂吉『赤光』新潮文庫

和歌・短歌に関して、興味があります。
わたしには書けないジャンルだったから。
赤光に関しては芥川龍之介・吉本隆明などが言及していますね。
もちろん連句をやっていますので、
詩形としての575、77には少し慣れてきたかなという感覚があるのですが、
以前(ずっと昔ですが)どこかを連句仲間である家族と歩いていた時に、
たわむれに一首作ってみようかということになり、
結構短歌は三十一文字で言いたいことがいえるね、難しいね
という結論になって、その時のうたはできませんでした。
たぶん、リズム感にとても秀でた人が歌人になれるのだと思います。
ことばに常に触れて、リズムに常に触れているひとかな。
茂吉に関しては、「儚い」ということを自分の人生において見出してしまったように思います。
だからこそ、詠み続けることができたのではとも思いました。

・又吉直樹 田中象雨『新・四字熟語』幻冬舎文庫

又吉直樹さんが考えた四字熟語に田中象雨さんが書をつける。
面白い試みだなあと思います。
そうですね、世の中には常に新しいことばが生まれ、すたれていくことばもあります。
しかし、常に変わらないものとしての軸となるものは
「ことば」
として変わらないようにも思えます。
どんどん新陳代謝が激しくなっていくことばの世界。
そんな中で生きていくというのは、ある意味「お笑い」という中で漫才をしている又吉さんがみつけたなにものなのかもしれません。

3月7日

今週の〆切を2つまもれたので、自分を許して好きなだけ眠りました。
次のイベントに向けて作業をするなど。新作1編。
世界がみんな、平和でありますよう。

3月8日

定期検診その2。健康です。新作1編。

3月9日

ウォーキングコースの梅が満開でした!


・タラス・シェフチェンコ 藤井悦子訳『コブザール シェフチェンコ詩集』群像社


わたしがこれを読んでいたのは駅前のバス停でした。反戦のプラカードを掲げて、歌うおじいさん。その歌声を聴きながら、読んでいました。
わたしたちはみな、アダムの子孫だ。
マリア信仰、そして農奴という歴史、そうしてそれでも故郷を愛し続けた詩人、タラス・シェフチェンコ。
先日の礫の楽音で、村田活彦さんが朗読していた詩人です。
この詩人が長く読まれてきた背景、そして文化、本当は黒髪で茶色の瞳をした少女たちが薔薇色の頬を輝かせながら笑う国。
わたしたちはみな、アダムの子孫だ。

・唯川恵『夜明け前に会いたい』文春文庫

元芸者の母親と金沢で過ごしている希和子24歳。彼女が恋に落ちたのは歳上の友禅作家、瀬尾でした。
24歳。うん、色々焦ってしまうし、迷ってしまう時期ですね。
わたしもその時は職場では体力もあったし、それなりにキャリアを積んで、今の恋している人と結婚することが当たり前と思っていたし、そうなったのですが、どうしてもそこで夢見がちになっていた自分がいました。
歳上の男性で、自分の仕事に丹念に打ち込んでいる人。
とても憧れますよね。わたしもそうでした。
でも、歳上で穏やかに恋をするとしても、相手にとっての大切なことは自分より違うレイヤーを重ねていることも確か。
その全部を背負い切れる覚悟はあるか、と問われるのが、歳上の人とする恋愛なのかなと時折思ったりします。
人は何かしら生きていく上で何を大事にしているか、何を大事にしてきたかがあるため、結婚して生活を築くということはそんなに単純なことじゃない。
瀬尾も希和子に隠していたことがありながら、恋心を抱かせてしまうのは罪だなあと思いながら読んでいました。

・葉室麟『辛夷の花』徳間文庫


九州豊前、小竹藩の澤井家に嫁いだ志桜里。
彼女は嫁いで3年子どもができず、実家に戻されてしまいます。それだけで理不尽を感じてしまうのは現代だからで、致し方のないことかもしれませんが……。
彼女の実家の隣に、抜かずの半五郎というあだ名が着く穏やかな剣士が越してきます。
半五郎と、志桜里は次第に心を通わせていきますが、藩の中で権力争いが激しくなり、半五郎がついに太刀を抜くことになります。
時代に追いつかなかった恋。
大人だからこそわかる世界があります。

・瀬尾まいこ『図書館の神様』マガジンハウス

友人を自死させてしまったかもしれない。
そんな思いがあって、大好きなバレーボールをやめた私。
それでもやぶれかぶれの恋を続けたくて、浅見という男と付き合い続けてしまう。
そんな中、彼女に図書室の先生、学校司書としての依頼が舞い込みます。
学校司書って、生徒たちと話す機会が多く、今はほとんどが委託業務ですが、学校が主体になって学校司書を招いている場合もあります。
司書教諭と話し合って、生徒たちとよい関係を築くことができます。
主人公の私はそれで、教えるということ、そして子どもたちから少しずつ前を向いていく勇気をもらい……。
神様はどこにでもいる。
それがわたしたちも前を向く決意になります。

・山本文緒『アカペラ』新潮社


人って汚いし、嘘をつくし、それでもなぜか憎めない。
そんな人間たちのドラマを描く山本文緒さんはすごいなあと感じてしまいました。山本文緒さんの本を読みたいと思ったのは、ミモレ・真夜中の読書会というポッドキャストでバタやんさんが言及なさっていたからです。
いくら家庭が崩壊していようが、その中でも暮らしを続けていこうとする子どもたち、そこから自分の居場所を外にだんだん見つけていく大人たち。
そして、いずれ帰る場所としてある暮らす場所。
それが家であるかは人の自由であると思うのですが、暗くて寒い夜に、あたたかな夕食を食べる場所があるって素敵だなと思うし、それがある人のことを幸せな人というのだと思います。
暮らしと創作はある程度結びつきます。
幸せな暮らしを送っている人がよい創作をできるとは限りませんが、一緒に生きていく人の影響を少なからず受けるものとわたしは考えます。
その中で、人間というものについて考えて書くとするならば、社会というものを意図しながら書いていく山本文緒さんの作品は偉大だなと感じます。
人の暮らしには、川が流れています。水が流れています。
それを心地よく、読み取れるように書いていくこと。

・山本幸久『幸福ロケット』ポプラ社

小学5年生。
そんな時もありました。遠い昔のことになってしまいましたが……。
自分の名前について悩んで、自分のグループについて悩んで、誕生日について悩んで。
小学校高学年になると、だんだん世界のこと、自分が今向き合うしかない「教室」という社会のことを見つめるときがあります。
その中でうまくやっていくのは本当に大変なことです。
それでも、その時代もあってよかったといつか言える日が来て。わたしも、そんなこともありました。
どこかへ転校してしまう男子に恋をしたり、それでも自分にいつかやってくる未来を夢見たり。
現実ではすごくつらいのだけれど、いずれ思い出としてやってくるときが来ます。
十一歳の香な子の悩みを、わかると思ってしまう自分に少し、微笑んでしまいました。

3月10日

新作に力を込めておりました。
いずれ発表できたらなと思います。明日は特別な日になるだろうな。

山並みがきれい!朝の散歩。
朝陽。
梅がほころんでいました。新作1編。

3月11日

朝の3時頃からラジオを追っかけ配信とリアルタイム、どちらも聞いて6時間強を使いました。それでも、とても豊かな気持ちになれたのはなぜだろう。
トンガの今の現状をトンガからの発信で聞き、和合亮一さんの朗読に胸を打たれました。石牟礼道子さんと橙書店も懐かしく思いました。
わたし、新婚旅行が熊本だったので、橙書店を訪れていたんですよね。平川綾万智さん、またお会いしましょう!
そして、楽しみにしていた宮スケ今週本。わたし、影のプロデューサーらしいです。
書肆侃侃房さんとは友人の関係で存じ上げていたので、非常に歌集や詩集やよい翻訳を読みたくなり、寺田寅彦についても文学以外の書棚で読みたかったものがたくさんありました。選ぶのが大変でした……。
寺田寅彦さんへの言及は宮崎智之さん、詩歌についての言及は渡辺スケザネさんです。
レッツチャレンジ。
会いたかった飲食店・雑貨屋さんのご夫婦に夫婦で会いに行きました。テイクアウトできてよかったな。
そして、14:46にやっと相方さんと一緒に祈ることができました。
去年はくしくも実家の家族と一緒にいた時間。来年こそは一緒に祈ろうと言っていました。

朝のモクレン。

・寺田寅彦『万華鏡』角川ソフィア文庫

わたしはバリバリの文系で生きてきたし生きていくので、理系の人々の音楽的なことばの持つ法則性などを、美しいなと思いつつどこか遠ざけていた部分もあるのかもしれません。
でも、寺田寅彦はきちんと理系であるし、その中でもちゃんと研究のことばと芸術・文学のことばが頭の中で格闘しつつ、夏目漱石を師として書いていたんですね。
わたしは彼の再評価をここ数年されているのは非常に良いことのような気がしています。
化け物、はもしかしたら寺田寅彦のうちでは科学だったかもしれないし、文学だったかもしれません。

・全卓樹『銀河の片隅で 科学夜話』朝日出版社

実は寺田寅彦さんの著書『万華鏡』の後書きの作者が全卓樹さんでした。
科学者は時としてロマンチストです。
I love youの日本語訳を月が綺麗ですねに例えた漱石もまた、ロマンチストです。
この二つを重ねてみると、寺田寅彦という科学者であり文学者も、ロマンチストということができるように思います。
宇宙に秘めた真実は、神と呼ばれるものしか知りません。
それでも、その1ページを覗き込みたいという望みがある人を本物の科学者というのだと思います。
それは数学にも言えることで、時にそれは音楽的であったり、リズムやチューニング、全てが整った状態にあるのでしょう。
そんな永遠のことを考えてしまう科学エッセイです。

・安東みきえ『夕暮れのマグノリア』講談社

見えないってことは、いらないってことじゃない。
この目に見えないもの、この目に見えないほんとうのことは実はたくさんあります。
この耳に聞き取れないことばも、たくさんあります。
そしてそれが誰かが隠し持っている、秘めた真実なのかもしれません。
そんな「ほんとうのこと」に気がつき始めた少女たち。
不思議なことが起こり続けますが、彼女たちを見守っていたのはいつも、おばちゃんのマグノリアでした。
見えないってことは、いらないってことじゃない。

・パリヌッシュ・サニイ 那須省一訳『幸せの残像』書肆侃侃房

イランの女性を待ち受けていた悲しい真実。
教育を受けることを望み、そしてそれで優秀な成績を取ったとしても、運命の心変わりで残酷な人生が待ち受けている。
愛のない結婚、そして愛のない生活、革命。
戦争という波乱。
そんな中で女性は何をしていくのか。
彼女には。わたしには。
生きる、というただ一つ、わたしたちにできるただ一つの方法があります。
どんな地獄でも。それは、わたしたちに与えられたものです。
そしてそれは、諦めではありません。むしろ、これからを生きる上で必要になってくることです。
それを海外の文学として読む、知るということも一つの答えであるのかなと思ったりしました。

・石牟礼道子『祖さまの草の邑』思潮社


石牟礼道子さんは、言語が言語化される前の何物かを描いている詩人だ
とほかの詩人さんがおっしゃっていましたが、その通りだと思うし、この衝撃は改めて、すごいものがあります。
石牟礼道子さんが実際に日常でしていた力強さ、そして言語にできない、ことばにできないなにかの叫びを常に聞いていらっしゃったこと。
その未だ生まれていないとされることばをことばにしている。
人間には内なる叫びが常に響いている。
それはわたしだってそうで、あなただってそうかもしれない。そんなことを311の日、思いました。

・石牟礼道子『石牟礼道子全詩集 完全版』石風社

読んでいて、なんでだろう。涙が出てきました。
90歳まで生きたこと。
女性であること、詩人であること、運動家であること。
生きるということは詩人において、詩人が詩人であるために
一生書き続けるということだと思っています。
そして、原稿を書いては隠し、書いては隠しという作業をしながら、ことばについて、世界について、考える。
ことばについて考えるというのは、海について考えることと似ています。
寄せては返す波のことを、ある人は永遠だと言いました。
生きることをやめることや、静止を永遠だとは言いません。
いつまでも何かさざ波を立てるように吹く風のようであり、それが決して途絶えることがないことを、永遠というのだと思います。
わたしたち詩人の文章がいつか誰かに届くとき、わたしたちは読者のみなさんのことが見えていないのだけど、
出版するというありがたい華々しい機会をいただいて、初めて会う顔があること、読んでくれる人の存在を感じること。
これ以上に、「書く」という喜びがあるでしょうか。
わたしも、石牟礼道子さんの「未だ生まれていないことば」をことばにすることを一生をかけた仕事にしていきたいと思います。
それは人のうちなる叫びであるような気さえ、するのです。

3月12日

今日は予約制の朗読会に先輩からお招きをいただいたので行っていました。
神楽坂セッションハウスです。

赤城神社!
境内へ登る。
蛍雪天神!受験シーズンでした……。
坂を歩いてみたい。
東京に来た時の楽しみです。
神楽坂セッションハウス。
ご縁があっておなじみの場所になりました。

田中一永さんのショートショートの朗読から、「漆喰くい」の1時間の朗読、そしてヒスイドロップのお二方の角田光代『Presents』収録「名前」、本当に春らしくて笑って泣いて。

こんなふうに、仕事以外のことで外に出かけて誰かと会って、笑って泣いてなんてこと、なかったなあと思い返しました。

はるうららの日差し。個人的にうれしいお知らせもあって、とても心が晴れやかになりました。美味しいものを食べに家に帰り、あたたかなひとときを迎えました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?