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言葉は、いつ、「自分の言葉」になるのか

「自分の言葉で語れるようになれ」と言われたことのある人、それなりに多いのではないでしょうか。私もあります。いつかは覚えてないですが。

自分の言葉、ってなんでしょう。

言葉が自分のものになる瞬間って、どこにあるんでしょう。

今回は、とある言葉が「人に言われた言葉」から「自分の言葉」になった
と感じたお話を綴ってみました。


後輩にかけた言葉を、1年前の自分の日報の中に見つけた


「できてないことにばかり目が向いて、凹んでしまうんです」

この春入社したばかりの後輩のつぶやき。

まず心の中に浮かんだのは、

分かるなあ、という至極シンプルな共感でした。

・・・

「できてない」と認識できた時点で8割解決しているだとか、

新卒入社したてなんだからできてないことばかりで当たり前だとか、

そういうのも頭では理解しているつもりですし、実際そうなんだろうとも思います。

でも、だからといって

自分が「できてない」と思う現実に、すぐに前向きに向き合えるようになるか?

と言われれば、私の中での答えは「No」でした。

(変える必要があるかどうか、という問題もまた別にあるとして、
これまで20数年かけて築いてきた考え方・捉え方を変えるというのは、
想像以上に重労働だと思います。)

そんな中、私の口からこぼれ出たのは、

「できてない」と思うことが多いんだったら、
どういう状態になれば・どういうことができれば、
自分で「できた」と思えるか、を考えてみると良いかも。

という言葉。

そして、私はGW中、何の気無しに遡っていた自分の日報の中に、

今後新しいタスクに取り組むにあたって、今回チームで決めたTryをちゃんと試せるようにします!
そのためには、「何をできたらこのTryを達成できたことになるのか」をしっかり考えておかないといけなさそう…。(2019/05/27)

という自分のコメントを見つけることになるのです。

「自分の言葉」の線引きはどこ?


思い返せばこの言葉は、当時研修中だった私が
メンターの先輩にかけていただいた言葉でした。

あれもできていない、これもできていない、と沈む私に

「できる」って何?どうなったら「できるようになった」と思うの?

と、問を投げかけてくれました。

この問が私にとって重要だったのは、

「できる」という言葉の指すものが、

誰が見ても できている・できていない と判定される、ある種客観的な事実のようなものではなく、「自分がどう捉えているか」の話になったことでした。

・・・

「できた」状態を自認して、つい「できていない」ことに目を向けがちな自分を、正当に褒めてあげること。

「できた」状態に対する認識を外に出して、それ自体にフィードバックをもらうこと。

思い返せば、社会人1年目の至るところで
この考えが足元を固めてくれていたような気がします。

あれができなかった、悔しい、と泣いてばかりだった1on1での相談事も、
最近は「今はこれができていないと思っている。じゃあ解決のためにどうしよう。こうなったら解決したと言えるかな…etc」と、ある程度前向きに話すことができるようになってきたよう…な。

・・・

確かに最初は「言われた言葉」でした。

でも、自分自身がその言葉を使って何かを考え

何かを考える時にその言葉を使ったならば

それはもう他人に言われた言葉ではなく、自分の言葉なのではないかと私は思います。

そうやって、日々接する言葉で考えて、使っていく中で、

「自分の言葉」も、きっと充実していくのでしょう。


言葉を深め、思考を深める。


そういえば、塾講師として国語を教える中でも
漠然と「思考を深めるための言葉の使い方」を教えたい、と考えていた気がします。

日々触れ続ける言葉の中から、自分の血肉とするものを選ぶ目は、
これからますます大事になってくるのではないでしょうか。きっと。

1人のマーケターとして、自分の言葉に誇りを持てる人でありたい。

そんなことを思う、GW最終日の夜でした。…明日早起きできるかな。

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