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女の子だから大学には行かないでしょ?


“性別の呪い”に立ち向かった、四半世紀前の12歳の闘いを書き留めます。

衝撃

「女の子だから大学には行かないでしょ?」

中学生になって早々に、母の言葉に衝撃を受ける。

成績は悪くない、むしろいい方だ。
勉強は概ね好きだ。とにかく好きな分野は底なし沼だ。ずっと泳いでいられる。これから大人になる間に、自分で選んだ学問と向き合えると思っていた。当たり前に。
勉強が好きなら選択肢が広がるって話をこの前してたじゃないか。あれはなんだった?
そこに、女がどうのってのはなんで混ざってきた?
生きていくためには何か仕事が必要だし、自分で決められる範囲の大きい仕事じゃなきゃ、私は続けられそうにない。あと10年でそういう仕事を見つけて、ならなくてはならないんだ。
初日から居心地は最悪だけれど、中学校は我慢してサバイブすると決めて毎日耐えている。
生徒の質は最低だ。目が悪いと言って一番前の席を陣取って、授業中は先生との擬似マンツーをして、休み時間は読書で乗り越えようとしている。
発言すると、各方面から絡まれそうだから、気楽な質問先と友達は本屋の棚だ。
板書が汚くて大声を出す教師の授業はきらいだから、数学には身が入らなくて、もどかしく思っているのは確かだ。ここが気に入らないのか?いや、性別の話をされたんだった。
なんでこの話になった?さっきまで、私は居間のテーブルでいつも通り考え事してただけで、母が料理しながら話しかけてきたんだった。
新しい知識への渇望を満たすためには、世の中の不条理に耐える修行と思って高校にも行くつもりだ。
でもその先はないってことか?
今、必死で生き延びても、遠くにも安住の地は探せないのか?

彼女の発言を受けて、吹き出した思考は一旦置いておいて、置いておかないと、色々と飛んでいって消えてしまうのは経験済みだ…

🐈‍⬛「行きたくなったら?」とだけ聞いてみた。

🐕「女の子2人の姉妹でうちには関係ないでしょ?だからお金も貯めてないじゃない。」
母はいつも通りにこにこして、料理を作りながら答えてくれた。

🐈‍⬛ 虚無

彼女に一切の悪気はないだろう。彼女自身が熟考した考えでもないだろうから。
なんとなく、そういうものだから、まわりも自分もそうだったから、口から出たのだろう当時の一言だ。
20年以上経った今の彼女は、この会話をカケラも覚えていないと思う。
でも、私は覚えているし、今も闘っている。

虚無から帰ってきて、言葉が口からあふれてきた。

🐈‍⬛「これまで、小学校はずっと成績トップは女子が占めてたし、今の中学校もうちの学年一位は女子だよね?」
‍🐕「そうねぇ。……」

(え、それだけ?この会話終了しそうだよ!?)

‍🐈‍⬛「じゃあさ、彼女達は、消えちゃうってことじゃない?」
🐕「え?どういうこと?よくわからないんだけど、ごはん、もうすぐできるからね〜。」
🐈‍⬛「医者や弁護士になりたいって言ってる男の子達より成績がよくても、勉強が好きでも、女の子達は女だから何にもなれないってことなの?」
🐕「え?そんな話してたっけ?」
🐈‍⬛「いや、もういいや。ごはん食べようか…」

限界

幼稚園の頃から気がついていた。
女性はレジ打ちや何かを売る人しか生活圏にいない。
おばあさん方が、道端でスーツの男性の革靴磨きをしてるのも見たことがある。
デパートには、エレベーターガールってのもいたけど、今は見なくなった。
卒園文集の「将来の夢」みたいな欄は、ケーキ屋さん、保母さん(当時の表現)、お嫁さん、セーラームーンが選択肢に書いてあった。私はレイアース派だった。
小学生になって、日本では看護師や教師ってのが女性の仕事の限界なのかなと思い始めてた。
外国の映画では医者も研究者もいるし、戦う女性も出てくるから、夢を見すぎていたのかな…
それとも、私の成績じゃダメってことか?いや、お金がないって言ってた。タバコとお酒のお金はないって言わないのに。
そもそも私じゃダメなんだ。あーまただ。なんで生まれてきたんだろう…
この歳でお金を得る手段ってあるのかな…。新聞配達は可ってどこかで読んだ。でも12歳って大丈夫かな…お金は足りるかな…。いや、たぶん許可がいるし、そもそもうちには関係ないって考えだからダメって言われ終わりか。
奨学金って借金だよね。仕事がないと返せないけど、世の中の多数派が母の考えだとすると、仕事に就けずか、賃金低くて返す見通しもたたないのか…あ、そもそも女は貸してももらえないとか。
……だったらいっそのこと、やっぱり生まれてきたくなかったんだよね。どうしようかな。

導き

何をするにも頭の中の一部に考えがこびりついて離れない。そうこうしているうちに、週末に父から本を渡された。
出版社が出している、広範囲の高校や高校相当の学校紹介が網羅された本だった。そこに、私の母校のひとつである高等専門学校の紹介も出ていた。

🐅「この本、知り合いから譲ってもらってさ。この高専っていうのとか、興味ありそうな分野も載ってて、就職率もいいみたいだよ。ここだと学費も何とかなりそうだし、短大卒の資格までとれて、敷地内に大卒相当の学校もあるようだ。今の時代に合わせた準備ができていなくて申し訳ない。🐈‍⬛の成績なら色々選べるだろうし、自分のように知らずに過ごしたせいで仕事を選べなくなってほしくないんだ。中1で対策を練る時間もあるし、考えてみてほしい。」
🐈‍⬛「(うるっ…とうちゃん…)あ、ありがとう。見てみる!」

父と母はとても仲が良かった。
母はあっけらかんとその日の出来事を父に話したようだ。
そして、父は相当に考え込んだようだ。
学校や地域で神童と呼ばれ、勉強で苦労したことはない子供時代だったが、大人になってからは自分の特性を生かす環境に身を置けなかったこと。
後に情熱を注ぐ対象となった仕事も鬱病で苦しんで辞めるしかなかったこと。
自分の子供が娘達だったことに心底安堵したことがあること。一生働き社会的重荷を背負わされる男の子よりも、自由を選べる女の子の方が生きやすいのではないかと思っていたけれど、それはこれからの社会や私の場合では誤解かもしれないと感じていること。

私は父からもらった本を徹底的に読んだ。
まだインターネットが高額でマイナーで、PCも個人宅には少ない時代。
とっかかりがあれば、本屋や先生、学年一位女子に質問するキーワードがざくざく出てくる。
父は自力で漕ぎ出したい私が途方に暮れないように最初の地図をくれた。

母から聞いた一言二言で、私の考えや葛藤は父に伝わっていた。伝わっていたし、寄り添ってくれて、ひとまずの打開策の案も入手してくれていた。
道標を見つけられたら、進み方を考えるのも、続けるのも猛烈に自信があった。
その後、勉強や専門科目に打ち込む私を、母は何事もなく軽やかに応援してくれた。

昔のわたし、今の私があるは父のおかげだ。
父は私の灯台のような存在だった。

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