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第一食目/ひょんな事【週末限定 ねこねこ食堂】

頭の回らない朝に。

 「ひょんな事」から食堂を任されることとなってしまった。人生で「ひょんな事」という言葉を使うことになるとは思わなかったが、それを使う他に表しようのない出来事だった。

『ちょっと旅に出てくるから食堂の管理、よろしくね!家賃と光熱費は気にしなくていいから!常連さんには伝えてあるけど、出来ればたまにお店を開けてあげてね!』

 朝起きて大衆食堂の中にある住居部分の居間の真ん中にでんと胡座をかいている焦げ茶色の重そうな丸い食卓の上に余程慌てていたのか注文を取る時よりも更に疾走感のある走り書きがされた小さな白い紙切れがぺらりと置いてあったのだ。これを「ひょんな事」と言わずに何と表現すれば良いだろうか。
 寝起きが良いとは決して言えない起きたばかりのふわふわした頭で何回かその言葉を反芻し、4回、5回と噛み砕く内に軽く世界が回る感覚に陥った。
 色々あって住まわせて貰っている身なので、仕事が休みの日や、早く帰宅できた日には食堂の手伝いはしていたが、任されるとなるとそれは話が別だ。
 しかも掃除など店のメンテナンスをするだけではなく「開けてあげてね」とはどうしたものか。
 とりあえず置き手紙の主に連絡をしようと思い、スマホの通話アプリを起動するも、全く応答して貰える素振りがない。
 旅に出るとはいったいどこに?いつまで?何をしに行ったのだろう?何故自分に何も言わずに行ってしまったのか…色々な思いがぐるぐるぐるぐる渦巻いてどうしようもなくなったので、一先ずコーヒーを入れて落ち着く事にした。

 薄茶色のペーパーフィルターを濃い茶色に染めながらポタリポタリとドリッパーを伝い落ちる芳ばしい香りの雫を見つめながら、さてどうしたものかと思案する。
 少しずつ濃い茶色の液体がカップを満たしていき、そこらじゅうを芳ばしい香りで包み込んでいく。そんな様子を眺めている間に全て納得したわけではないが、考えはある程度まとまった。
 熱々のコーヒーを全てすすりきると、今まで感じたことが無いくらい重くなった腰をあげた。

「よっこいしょっと」

 やる気がみなぎる魔法の言葉を己の腰に投げ掛けて立ち上がり、とりあえず食堂の掃除をすることにした。これは食堂を任される前からやっている週末のルーティンなので何も問題ない。いつもと違うのは「一人」ということ。
 いつもより人口密度の少ない食堂は小さい物音でもやたらと響かせる。自分の足音、蛇口を捻る音、テーブルを拭く音。普段は気にもならなかった音がなんだか不愉快な程に耳に入ってくる。
 そうこうしている内に掃除は終わり、いつもなら暖簾をかけるのだが、自分一人しかいないのに暖簾をかけるのは流石に躊躇われた。
 「誰も来ませんように」と、いつもとは真逆の願い事をこぼしながら、そっと入り口の鍵を開ける。照明は客席側は付けずに厨房だけ付けておく事にした。先ほどの願い事を再びこぼしながら厨房にある椅子に腰掛け、念のため沈黙し続ける通話アプリを確認した。

 こんな「ひょんな事」から食堂を始めることになったのである。



【ねこねこねこねーこ】
平日は社畜として働きヘロヘロになっている「ねこねこ」が週末だけオープンさせる「ねこねこ食堂」。オシャレだったり凝っているお料理は無いけれど、地味においしいお料理でほっと一息ついていただける場所になればと思っております。


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