昇華。
おじいちゃんが死んだ。
過不足なく、この言葉の通りだ。
願わくば嘘であって欲しいが、残念ながら現実のようだ。
自分の内側のものが壊される感覚は、何度経験しても慣れることは無く、耐えれるだけのメンタリティも持ち合わせていなく、自分の中に落し込むことも出来ず、ただただ逃げて、ちょっと向き合って、逃げてを現在繰り返している。
「コロナ」という強い言葉を今は使いたくないけど、まさか身内が重症患者になって、亡くなるなんて想像もしてなかった。そんなテレビの中の世界は現実に起こる世界なのだと知った。
人は急に死ぬ。
「昨日までは元気だった」なんて、なんて残酷な言葉なんだろう。
入院はしてたけど面会謝絶だなんて、なんて残酷なご時世なんだろう。
最後の電話で「明日帰る」と言ったらしい言葉は、違う意味で現実になった。
涙も出なかった。
母が電話越しで泣いていても、どこか冷静で、実感もなく、淡々とただただ〝生活〟を続けた。
洗い物をした。
ゴミを集めた。
温かいご飯を作った。
お風呂場を念入りに掃除して、新しい湯を入れた。
そうしないと気が狂いそうだった。
その日は〝人間らしい生活〟を、心がけた。
自分にも、他者にも。傷心で帰ってきた時に少しでも気持ちよく過ごせるように。
さらに寝れなくなった。
自閉特性のせいか、顔も声もちゃんと脳内再生される。
最後に電話で話した時も「元気か?」と尋ねられた。会う度いつもそうだった。優しい人だった。
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葬儀場に行った。
行きたくないと逃げていたら妹が「でも、あと何回会えるか分からないよ」と。
ぐうの音も出なかった。
「春泥棒」を思い出した。
会うことさえ、もう限られてるのだと改めて突き付けられた。
会ってきた。
正確に言うと、怖くて顔は見れなかったけど。
線香をあげたあと、実感が押し寄せてきて1人泣いた。やっと泣けた。
やっとスタートラインに立てた気がした。
(続)
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