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マインドフルネスを始めて1年2ヶ月が経過

2020年、年末になりました。猫目石一家の2020年は、次の段階に向けて、準備に次ぐ準備の年でした。以前の記事 にありますように、われわれ10年程度迷いに迷った時期があります。今年はこの迷いを完璧に抜け出した年といえます。

相棒の猫族金平も喜んでおります。さて、マインドフルネスを1年以上続けて、みえてきたことを、書いていきます。

自然と向き合う

前回の記事で、マインドフルネス瞑想中に和室に座りに庭園と向き合っている自分の姿をみていると記しました。その時は意味がよくわからなかったのですが、これは自然と向き合うことを示唆しているのではないかと気づきました。猫目石一家は、芸術一族ではありませんのでおこがましいのですが、古今東西の芸術猫 芸術人は自分のスタイルで自然と向き合い、創作活動を行っていると確信しましたね。

加えて日々の暮らしでも、自然と向き合っていればおのずと、進むべき方向がわかるのではないか?と思っております。自然と向き合うなんて使い古された言葉ですが、猫目石一家のマインドフルネス中に見える景色は、今も全く変わることはありませんので、この解釈は正しいのではないかと思っております。

悩みから解放されるためには、身体を整える必要あり

誰でもくよくよと悩むときがあります。それはわれわれも同様でして、マインドフルネス瞑想を修行しているにも関わらず、たまに予期せぬトラブルが発生した折、うまく平常に戻れない時もあります。

つい数日前にも上記のようなことがありましたが・・・よくよく分析いたしますと、悩みは身体の不調から起きているのではないか?と感じたのですね。現実の悩みに気をとられているうちに、身体を気遣うことができなくなっていた、と思ったのです。(自分を忘れ正体不明となった状態)

だいたいこのような場合、胃腸の不調として現れます。しかし、マインドフルネス瞑想のため、とりあえず座ってみますと、腸の具合がよくなり、悩みなど小さなことだったと勝手に決めてしまう自分がおるのです。独り合点のような気もしますが、案外悩みというのは、身体が快調に動けば、どうでもよくなるのだなぁと思っております。

また、姿勢がうつむきがちになりますと、疑心暗鬼に陥りやすくなる、猫目石一家でございます。昨日も、腰椎をすっと伸ばし、顔を少し上向きにしてみました。目線を上げますと、悩みなんぞ別世界のことだと勝手に思え、勝手に顔の筋肉がゆるんで、微笑んでしまうのです。

勝手に思えてしまう、という心の動きが何か?これを気づきと呼ぶのやもしれませんが、今のところははっきりわかりません。まだまだ修行不足なのでしょう。

いずれにしても、胃腸の動きが脳(心 考え)とつながっていることは確実だと感じますので、悩み深き猫族人族のみなさんは、とりあえず座り、深い呼吸をしてみることをお勧めします。

白紙が必要

物事をスケジュールどおりに進めなければならないのは、ビジネスの世界の話です。締め切りを守ることは大切ですね?これはわれわれも、詰めてお仕事をしておりました若かりし頃には、さんざん経験してきました。

また、受験や資格試験など、頑張りが必要な時代には、スケジュールを決め、確認しつつ勉強を進めなければなりません。

しかし、このような時代を乗り越えて、本来の自分に戻って何かに挑戦してみようと思ったとき、ビジネスと同じように計画表を優先しましても、よくない結果に終わること多々ございました。よくない結果はだいたいちょっとした病や、怪我となって現れたりいたします。

怪我にしても(たとえば包丁で手を切ったりなぞ)事故にしても、心がどこかに飛んでいってしまっていることが多いですね。スケジュールが白い部分は必要だと、われわれは思います。この白い部分がマインドフルネス瞑想の時間であったりするのですね。

瞑想とは脳を休める時間であると思います。ときどき思うこと。生き物すべては、自ら時間を動かし管理する力をもっているのではないか?と。マインドフルネス瞑想を実践した日は、同じことをやっても物事が早く進みます。ゆっくり進めているのに早い・・・理由ははっきりわかりませんが、われわれにとっては、良い影響が及んでおりまする。

「こうしよう ああしよう」と作為的になりすぎても最終結果は決まっておりますからね。われわれには必ず死という結果が訪れるわけでして、これと向き合うことにより、非常に強くなり、それぞれの自分にとって最も良き結果を得られるのではないかと思っております。

なんだか理屈っぽく、表現も下手くそでわけがわからなくなってきましたが、今のわれわれは、このような気づきを得ているということですね。

それから、マインドフルネス瞑想はもしかしたら、座禅に入る前の勉強ではないかとも思えてきました。最近は、とある曹洞宗の修行僧の方々の文章を読ませてもらっていますが、腑に落ちることが多いです。われわれの座り方は、ほぼ座禅と同じですので、このような気持ちになったのではないか?と考えておるのです。

さて、次は2021年。創作活動も新たな形態でスタートすることは決まっておりますので、結果をご報告いたします。長文を読んでいただきありがとうございました。





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