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遅ればせながらの自己紹介

自己紹介は最初に行うべきですが、機会を逃してしまいました。具体的には↓にある通りです。

わたしが音楽を習い始めたのは今から63年ほど前のことですが・・その時は山奥にいまして、先生は一人のみ。この先生は中学校で英語と音楽とを(神戸女学園出身)教えておられて、わたしは英語も教えてもらっておった記憶があります。

ガリガリと詰め込まれることはなく、遊びの一環として習っていくタイプ。英語は近所の子供たちが寄り集まって、遊びつつ単語を覚えたり、最後にはおやつを食べたりして、まぁ集会的な雰囲気でした。

亡き母の女学校(京都府立第一高女)では、戦時中にも関わらず、軍部に禁じられておった英語の授業があったり、音楽や絵の専門大学(東京芸大や京都市立芸大など)に進学する族さんも多かったらしく、西洋文化への憧れが大だったようです。加えて当時は戦後10年、ようやく世の中が落ち着き、文化的生活をしてみたいと皆が思ったんですね。

わたしは幼少の頃から創作活動をしておりました。思うがままに近所の猫さんや虫さんたちと遊びつつ勝手に物語を作っておりました。何かを表現したいとの思いが強かったように思っています。

ピアノ演奏については指をこう使えばこのような音が出る的なロジックは教わらず、「こんな感じで」といったいわゆる曖昧なことしか教わっておりませんでしたが・・当時の録音(5歳くらい)を聞いたところ、きちんと音楽しておりました。われながら詰め込まれていないのに「よく弾いてるじゃないか」と思った次第です。テクニックはおいといて、曲としての完成度が高い演奏ですね。

しかし手が小さく、6度をつかむこともできにくかったようです。現在は右手オクターブ、左手はようやく9度がつかめるまでに成長したものの、大きな手の人には敵いません。それでもオクターブの連続など、要領を得て弾くことができていたのですから、弾きにくいところは何らかの工夫をすれば弾けるようになるんですね。(高齢になると筋肉が弱るのか、練習しないと指が開きにくくはなるようです。)

幼少の頃にやっていたことは今も変わっておりません。理屈を知ったり他族さんからの伝授も得て、感覚は磨かれてはいきますが、本来の自分の中にあるものを変えることはできないのだなぁと思うことしきりです。

高校の時から作曲の先生につきました。その時に先生から「大学入試のみを目標にしている人もいるが、それはそれ。猫目石さんは将来何をしたいのか考えて勉強した方が良いよ。」と言われたことが今でも心に残っています。

当時わたしは曲を書くことで生計をたてられたら、と考えておりました。特に印税というものに興味津々でした。しかも国内だけでやっていきたいという希望が強く、海外留学をする気持ちはありませんでした。

海外へ出かけて何かを得るのは、人生の終わり近くになってからでも良いと考えておりましたが・・今はインターネットの世界がありますので、昔とは全く様相が変わってしまいましたね。

大学に入って周囲の方々と接するにつけ、何かが違うと思ったことが多かったです。わたしは感覚重視なのか?ガチガチに詰め込まれたり、お勉強として曲を書いていくことに疑問を感じつつ、何とか生きておりました。

大学での人間関係には、意識的に大きく距離をとっておりました。

価値観が違いすぎる族さんと話をしても、「変わったことを考えているな」としか思われません。実際そのころアナログシンセが出てきたとき。大いに興味をもち、多重録音をはじめて、周囲に話をしても全く相手にもされませんでした。

冨田勲さんのシンセだけで作った「月の光」のリリースやYMOがデビューしたあたりです。これらにもものすごく興味をもって聴いていました。単に好きというだけではなく、自分でも実験してみようと思うところが、モノ好きなのでしょうね。

その後は紆余曲折を経て、今に至るわけですが・・・一度も組織に所属せず、生きながらえていくのは、並大抵なことではないなぁ・・といつも思っております。

なぜ、自分が音楽で生きられているのか??正直疑問にも思います。苦しい時の方が多かったわけですが、それでも折れなかったのは、幼少の頃よりの鍛えられ方にもあるやもしれないと、思います。

奇跡が起きたのかもしれません。これは今は亡き両親も言っておりました。

音楽に限らず、得体の知れないジャンルで生き抜くことの大変さは身をもって感じています。

何ももっておらない族ですので、ダメで元々といった楽天的考えもあります。何もないのは逆に強いのかもしれません。

60代前半〜中盤にかけて両親を見送り、ようやくしっかりしたなぁと思える時も出てきました。

もうすぐ68歳になりますが、高眼圧症を除きおおむね健康であること。仕事を依頼してくださる方もおり、しかも喜んでくださることが嬉しいです。亡き父は生涯現役に近かったので、わたしもそうなるのではないか?と思っております。

長くなりましたが、お暇な時にでも読み飛ばしてくださいね。


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