瑕疵

心がゾワゾワしてどうしようもない夜というのは突然やってくる!


いつもきっかけとかは特にない。いや、これは本当に。正確に言えばこれが引き金なのかもしれないな…ということはあっても「これだけのことがなんで引き金に?!」と当人が理解できていないので、そんなのはないに等しいことだと思う。
そこまで過敏で生きていけると思うなよ。どんどん鈍感に心を薄く引き伸ばして、初めて生きるの割と楽しいな なんて思うようになった。


ずっともうシラフではないそうでないと生きていけない。


嘘をついた。私は至って正気でまともで健常です。私史上類を見ないほど。悲しくて泣き叫ぶことなんてもう随分長くなくて、「泣いちゃう〜」って真顔でLINEを打ったりしています。
いや、時々泣いてもいるけど随分 鈍く穏やかになった。自分の身に起こっていることがとても悲しくてとても辛くてとてもやるせないことだということは知識として理解できていればいい。
知識として理解できていないと、第三者を傷つけるから。感情として理解できてしまえばおそらく、もう歩けない。実はこれも嘘で、感情としてもう理解できなくなったみたいなので 悲しくて歩けなくなるなんてことはなさそうです。




縁の切れた友達と繋がっていたSNS、なんかバグってていっつも通知が一件だけ来ている。



その子からの便りかな、なんて思って開くそんな訳ないのに10分毎に。なんとなく、今日は一日中部屋の四隅が暗く見えるような日で 朝から良くない予感はしていた。学校に向かうために電車に乗っていた時ですら、なんかザワザワしてて私は、何も考えないように同じ曲ばかり聴いていた。そういう時は音で頭を埋めて、何も考えないようにしているだけなので曲に申し訳ないなと思う。今日も天気がいいな。


大学で必要書類の提出をして、用を足したらトイレットペーパー血がついた。子供を産みたくない私に無断で、赤ちゃんの部屋の準備をするな。


私は高校生の頃周囲に、私の代で血を終わらせる!と宣言していた。遅咲きの中二病みたい、カワイイね。確かに中二病で、おまけにその頃はめちゃくちゃひねくれてもいたけど、これに関しては純粋に心から思っていた。誰かを傷つけるのが怖くて、だって殴られて育ったから。自分が子供を産んでも殴って育ててしまいそうだから。
そんなことするくらいなら死んだ方がマシだと思うし、子供さえ産まなきゃそんな恐怖に怯える必要もないのにわざわざ、子供を産む意味が理解できなかった。

今は少しだけ理解できる、母親が死ぬのを見て意味の一端くらいを理解した。でも子供を産むなんて恐ろしいことをする気は、やっぱ未だにない。


私の宣言を聞いて父は笑ってたし母親はしょうもな、という顔をしていた。本気だから。本気で言ってっから。私本気で、子供なんて産む気ないので!孤独死万歳⭐︎ピース!…………将来は猫おばさんになるんだ。

というか子宮は私のものなのに、個人の物なのに、赤ちゃんの部屋なんて気色悪い呼び名をつけた人間のこと、一生許さないでいたい。
その人の名前も知らんけど、あんたも名前も知らん私に一生恨まれてください、敬具。


責任を持つことへの恐怖心を持たない人間が恐ろしい。親なんて免許制にすべき、無免許運転は捕まるのに人の心を平気で踏み躙れる人間がなんの制限もなく親になれてしまうの 恐ろしすぎる。その人間に育てられた人間がまた子を成す、恐ろしすぎる。人のことを適切に愛することもできない人間が、人のことを適切に愛することができない人間を育てていく。恐ろしすぎる。恐ろしすぎる。恐ろしすぎる。国家錬金術師だって国家資格なんだよ、資格がいるの。人ひとり作るのになんでなんの資格もいらないのかな。恐ろしすぎる!


なんで資格を用意して欲しいかって、いつか万が一愚かにも人を愛してしまって、万が一愚かにもその人との子供が欲しいと思ってしまったら、
その時は私をちゃんと打ちのめしてほしいから!



適切な親、適切な教養、まともな親戚、まともな交友関係、それによって培われる人間性。適切な職と、必要なだけある貯金、それによって子に提示できる選択肢。柔軟な思想と適切な愛情と適切な距離感と適切な、もう思いつかないけど とにかく適切な全て。適切な生活によって育まれる適切な命。


適切な人間にしか適切な人間を作れる訳ないでしょ!


私のような人間には得難い幸運にしか見えないことが、親になるために必要な資格の全てだと思う。望んでこの形になった訳じゃないのにあんまりだよねって 同じ立場の人になら言いたい。
でも人間の魂なんて真綿にくるむようにして持っていないと、簡単に損なわれてしまうから。友達が言ってた、一生1人なんて寂しくない?って。
寂しくてもなんでもどうでもいい、他人の魂に傷つけてしまうよりそんなのよっぽどマシだと思うから。




あ、風船から手が離されてしまいそう と思う。




家電量販店は別に好きではなかった。が、家電量販店でもらえるヘリウムガス入りの風船と、特設されたレンタルDVDコーナーでホラー映画のパッケージの裏側を見て、あらすじだけひたすら読む時間はかなりいい歳まで好きだった。支柱の影に隠れるようにしてその作業に没頭していたら、いつのまにか営業時間を過ぎて家電量販店の中が薄暗くなっていたことがある。(両親は先に車に戻っていた)

ヘリウムガス入りの風船は、家に帰る頃までは私の頭上でご機嫌に浮かんでいたけど帰って眠って翌朝起きる頃にはいつも、私の顔くらいの高さを漂うようになっていた。私の飼っていた犬は馬鹿で、この風船を本気で敵だと思っていて見ると狂ったように歯を剥き出しにして吠えた。
彼の野生を見ることができる貴重な機会の一つだったので私は喜んでリビングに彼の怨敵を解き放った、手を叩いて笑った。今思えば可哀想なことをしたなと思う。

家に風船を連れ帰るまでに子供特有の不注意で何かに気を取られ、紐から手を離してしまうことがあった。地上へのよすがを無くした風船はふらふら〜っと昇って行って、しまいには見えなくなる。あれは残念だった。大概は呆然として、機嫌によっては泣いた。幼い頃私は、何度か百貨店の屋上とか立体駐車場とか自然公園とか展望台とかで眺めた遠くの空に 他の誰かが私と同じ失敗をしたのを見つけたものだけど、もう とんと見ない。これは風船を配る機会がエコロジーの観点から減ったのか、私が空を見上げることすらなくなってしまったからなのか、どちらだろうか。


他の誰かの手から離れた風船を 離したのが誰かなんて分からないほど遠くから見るのはなんだか、夢みたいな景色で割と好きだった。


そのことを思い出す。手放された風船になってしまった時の私は、何をするか自分でも分からなくてとても怖い。私は人に迷惑をかけるのが何より嫌なので「自分がどうなるか分からなくて怖い」のではなく「自分が人に迷惑をかけるような何かをしでかしてしまいそうで怖い」と感じる。

だからそうなってしまった時はいつも一歩も動かないようにする。じっと動かないようにしながら、内腿をつねったり聴いている音楽のボリュームを上げたりする。ずっとシラフなやつでいたいんだ、私は。私にとっての正気を失っても人々にとっての、シラフでいたいんだ。


着く駅ごとに電車内から飛び出して路面に花を咲かせたくなるとき キリンジのDrifterを口ずさんでやり過ごす私は、側から見たきっとシラフには見えない。各駅停車、極小単位の永遠を 自分自身に馬鹿なことしないでねと祈りながらやり過ごす。シラフでいたいっていうのすら嘘かも、もう誰のことも傷つけずに生きられるなら気狂いだと思われちゃってもいいよ。



馬鹿なことしないで、どうせ死ぬなら海にして。



買ったばっかのスマホが、もうおかしくなってていきなりタッチパネルが出なくなる。何もない画面をおおよそでフリックしたら正しい文章が打ててしまった。今の私の生き方も大体こんな感じ、何に対しても本気じゃなくて誠実でもなくなってしまってからの方が、なぜか様々なことが上手くいく。


なぜ。なぜ。なぜ。どうして。どうして!!

これは過去の私の代弁で、今は特にこんなことは思っていない。生きやすくって最高。って思う。


生きやすくって最高、何かを諦めて失うごとに生きやすくって最高、悲しくもなくなって生きやすくって最高、怖くもなくなって生きやすくって最高、他者への期待を手放して生きやすくって最高、世界への期待を手放して生きやすくって最高、優しくなって生きやすくって最高、冷たくなって生きやすくって最高、過去を忘れて生きやすくって最高、未来を忘れて生きやすくって最高。

自分の気持ちがわからなくなって生きやすくって最高、人の気持ちを考えなくなって生きやすくって最高、昔の自分なら到底選べなかった手段を、躊躇なく選べるようになっちゃった。生きやすくって最高!生きやすくって、生きやすくって、生きやすくって、生きやすくって本当に最高。







でも、生きやすいっていうのは私が私のようでなくなることなのだと できればもっと早くに教えてほしかった。



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